
2008年以来、毎月欠かさず掲載してまいりました。
心理カウンセリング歴50年、竹内令優のカウンセリング・マインドでもあります。
来談者の方々から是非、小冊子を制作して欲しいとのご要望もあり、このたび今月のことば「ことばグセが自分の人生を決定し、幸せを創る」を集大成した小冊子を発行致しました。
現在、面接中の方に活用して頂き日常生活の良き指針として好評を得ております。
(著者:竹内令優)
文豪ゲーテは「人間の最大の罪は不機嫌である」と語っています。
その不機嫌が引き起こす三つの大罪は以下の通りです。
1.医学的な悪影響
不機嫌でいると、ストレスホルモンが大量に分泌されます。一方、笑うとがん細胞を殺す免疫力アップの**NK細胞(ナチュラル・キラー細胞)**の働きを活発にします。
2.周囲への伝染
不機嫌な人がいると、職場や家庭の雰囲気が悪くなり、周囲もストレスを感じ、生産性が低下することが証明されています。
ある保育園に勤める、笑い美人のRさんの報告です。
「『シルバー川柳・18歳と81歳の違い』を一人の職員と対面で読み合い、お腹を抱えて笑ったところ周りの職員も興味津々。次々と笑いの輪が広がっていったら、温かい思いやりのある明るい職場に更に向上しました」。
職場の信頼の厚いRさんは「これからも笑いのネタを探し、職場に還元します」と語っています。
また、知人の会社は長年、朝礼に「笑い体操」を取り入れています。社長いわく「笑うと儲かりまっせ(笑)」。
3.人間関係の影響
不機嫌な態度は人間関係をぎくしゃくさせ、阻害させます。
笑顔・笑いは相手に「敵意がありません。同じ空間を楽しみたいのです」というメッセージを送ります。
心理学援助者50年、「共感、ユーモア、笑顔・笑い」を心がけてきました。『笑いは人生最高の贈り物』です。
先日、尊敬する親友S君の返信メールです。
「僕もM君(亡)のことよく思い出します。
吉祥寺、尼崎、本渡、牛深の自宅での結婚披露宴に来てくれたことなど、次から次と浮かんできます。
つい最近のことのような気がします。
人の死はその人を知った人がいなくなる時が、本当の死と言いますよね。
いつまでもM君のこと、考えていたいと思います」。
「M君‼ S君と私は生ある限り、思い続けるからね。安らかに…」。
二度目の死がないのがお釈迦さまです。
お釈迦さまの教えは未来永劫だからです。
子どもの頃、明栄寺(曹洞宗)の説法でお釈迦さまは
「この世は苦である。苦があるのが人生の普通の姿である」。
「物心ついてからたどってきた生涯を振り返ってみると、いろんな問題が次から次へと起こってきたが、何とか乗り越えて今日まで生きているな…」。
そう考えれば、フッと気が楽になり、気分転換ができます。
また、お釈迦さまは「苦には必ず原因がある」。
私はこの教えを基に漠然とした不安や心配している事柄を、箇条書きにします。
問題が明確になるのです。
昔からの言葉で「命まで持って行きはしない」。
覚悟さえ決めれば解決できない問題はありません。
今の私があるのは、説法の数々の教えのお陰でもあります。
散歩中のお寺の掲示板、クスッと笑いながら「うまいこと言っているな~」。
今、ブログを読んでいるあなたも「あるある」と思っているのでは(笑)。
かつて、帰郷の折、親友M君に
「宝くじが当たったという噂は本当なの?」。
「ウソだよ‼尾ひれが付いた噂のいきさつは……」。
「お金貸してという奴いなかった?」。
「それがいたのよ(爆笑)」。
噂話のトラブルにならない心構えの一つに「プラスの言葉ぐせ」が重要です。
言葉は『言霊(ことだま)』というように、不思議な力があります。
言葉に込められた強い思いは現実化するのです。
特にその場にいない人の話題は肯定的な話をすることが大切です。
人伝えに「○○さんがあなたのことを褒めていましたよ」。
第三者からの良い噂は嬉しいものです。
管理職Aさんの悩み
「S君とY君はギクシャクしていて……」。
「今度のイベントを二人に任せてみてはいかがですか。
後日、一人ずつ呼んで労をねぎらった後、相手の良かった点を聞き出し、Aさんから互いにそれとなく伝えて下さい」。
S君「数字に強いYさんの事務処理には、助かりました」。
Y君「テキパキとしたSさんの進行役は、有り難かったです」。
Aさんの後日談「おかげさまで職場が明るくなりました」。
家庭・学校・職場、プラスの側面に働きかける『良い噂の心理技法』は好評です。
久しぶりの帰郷に際し、中・高の同窓会に参加しました。
過去の記憶をさかのぼるうち、誤った自分像に気づくことがありました。
思い出話に花が咲くうち「違うよ、担任の先生がきっかけで、竹内の方が俺に絡んできたんだよ」などと、思い違いを指摘される。
同窓生たちの言葉が上書きしてくれました。
また、小・中・高のグランドや「天草・雲仙、国立公園~十万山・竜洞山」の展望台。
点在する天草の島々を一望できる思い出の地を巡りました。
記憶の点と点をつなげていく営みは、自分史を編集する作業のようでした。
天草の自然に育てられた誇りを胸に一つひとつの場所で「ありがとう。そして、さようなら」。
昔の記憶をよみがえらせることを「ライフレビュー(人生を回想)」といって、認知症の治療にも活用されています。
不思議なことに人間は古い記憶はいつまでも脳の貯蔵庫にしまい込んでいます。
古い記憶を取り出してきて整理する作業が、脳の働きを高め認知症の予防に役立つのです。
同様に同窓生の快い語らいはドーパミンなどの快感ホルモンを促し、脳を若返らせます。
三次会では、ぼた餅・巻き寿司を頬張りながらの語らいに皆が「少年少女の表情」になっていったのは感動でした。
人生の大いなる価値の一つに「どれほどの多くの同窓生と深く語り合ったかである」。
『人は一日に2万~2万5千回の呼吸をします。その質が日々の健康に大きく影響』。
人はストレスを受けると交感神経(緊張)の働きが強くなって、バランスが崩れます。
しっかり息を吐いて副交感神経(くつろぎ)の働きを活発にし、自律神経のバランスを整えることが大切です。
ある来談者M氏は、厳しい上司に報告をするたびに息が詰まるような圧迫感を感じ、次第にうつ状態に陥っていきました。
初回面接、注意深く観察すると、まさに弱々しい浅い呼吸と体の硬さに気がつきました。
次の面接で上司との対人場面を想起させる誘導イメージを実施。
すると「浅い呼吸や息を止めている」ことに自らが気づかれたのです。
その後、肩甲骨のゆるめ方や横隔膜の広げ方など、ストレッチとメンタルトレーニングを指導。
「職場のトイレでもこまめにストレッチするようにしました」。
几帳面な性格もあり、体をほぐし正しい息の仕方を身に付ける事で、自律神経のバランスを整えられたのです。
面接の終盤、「体ほぐしとゆっくり深い呼吸で疲れなくなりました」。
「Mさん、これからも竹のようにしなやかに深い呼吸とともに自分のペースを大切に。息の仕方は生き方です」。
姉からの命の贈りもの。
4月24日、満10歳になりました。
当時、主治医から「一年後、血液透析を覚悟して下さい」。
即、一週間の教育入院で腎不全の理解と自己管理の重要性を学び、「自分の主治医は自分である」の覚悟ができました。
その後、食事療法を支えてくれたスタッフのお陰で、10年間透析することなく腎臓移植に移行できたことは幸いでした。
また、2ヶ月間の入院中、毎日来てくれた長男が一か月後に言いました。
「父さん、伯母さんへの感謝はもちろんだが、63年間よく働いてくれた自分の腎臓にもお陰さまだよ」。
その言葉に感動し、「腎臓さん、今までありがとう。お疲れさま」と語りかけながら眠りについたのを想い出されます。
今月の定期健診は、術後10年のエコー検査を受けました。
画像で萎縮した二つの腎臓と良好な腎臓を比較しながらの説明に、長男の「お陰さま」の言葉がよぎりました。
10年間、大病から学び、多くのお陰さまに感謝する毎日です。
家庭・学校・職場であれ、素晴らしい組織は“5S”を徹底しています。
即ち、5S「整理・整頓(能率の基礎)・清掃・清潔(品質の基礎)・しつけ(あいさつ・敬語・電話対応などの人間関係の基礎)」。
5Sの実現は身に付くまで、リーダーが根気よく率先垂範が不可欠です。
「躾(しつけ)とは“しつづけ”を略した言葉」との説があります。
新年度4月、家庭・学校・職場の5Sの徹底は社会人としての基本です。
先日、来日MLBの試合で感動した一つに、ドジャースベンチの様子がありました。
「フリーマンやスミスコーチなど皆が、ひまわりの種を吐き出さないで、大谷選手のように紙コップを持ってその中に捨てていたのです」。
日本の清潔さを実感してこの国を汚してはいけないと思ったのか?
東京ドームのベンチの清潔さを感じたのか?
いずれにしても、大谷マインドに感化されたことは、テレビ観戦した多くの人がほっこりしたのではないでしょうか。
5Sを具現化している超一流の影響力は、世界に誇る日本文化を浸透させています。
日本人としての誇りと、凡事徹底の大切さを再確認しました。
レオナルド・ダ・ヴィンチの言葉です。
『日日是好日』という禅語をもじって、私は『日日是成長』を一日の目標にしてきました。
A医師の場合――
若くして自分がまもなく癌で死ぬことを自覚したA医師は、その日から死ぬ日までが、一日一日が限りなく貴重で、充実した日々であったと日記に書いています。
世の中のすべてのものが光り輝いて見えるようになり、一木一草にいたるまで、その美しさに胸を打たれたという。
幼児の可愛さ、女性の美しさ、そして老人たちのシワの深い顔のしみじみとした味わい……。
どうしてこれまで、こんな素晴らしいものが身のまわりに充満していたことに気がつかなかったのだろうか。
こうして死去するまでの三カ月、克明に日記を書き、とくに医師として癌で死んでゆく患者の気持ちや自覚症状をありありと書き残しています。
この医師のような壮絶な人生を送る人はまれであろうが、大切な身内の死を経験した私にとっては、A医師に大いに共感しました。
先日、「後顧の憂いなし」――
1.延命治療はしない。
2.痛みの緩和は強く望む。
この二点を強調した『尊厳死宣言公正証書』を、公証役場で正式に作成しました。
すべてに感謝の念を抱きつつ、死が少し楽しみな不思議感覚で家路につきました。
『立つ鳥跡を濁さず』。
イギリスの諺です。
まったく悩みを持たない人間はいません。
キリスト教の懺悔(ざんげ)は、告白によって罪の意識を軽減します。
東洋においての罪(つみ)は「包み(つつみ)」を短縮した言葉です。
心に包み隠していると、罪は重くなり苦しむという例えです。
カウンセリングは“悩みを包み隠さず告白して頂くことで、心身の自己回復を促進する”心理学的援助です。
「話す」は「放す(解放)」の同義語です。
かつて、来談者がこう語りました。
「今、うつ病で苦しんでいます。クリニックにも通院しているのですが、あんまり芳しくありません」。
うつ状態になると、人の話を聞くのが苦痛になる傾向があります。
それゆえにカウンセリングでは、ゆったりとした空間で傾聴に徹しました。
回を重ねるごとに、不安と焦りで、はち切れそうだった心の風船がしぼみ、笑顔が戻ってきたのです。
「長い人生の中で、うつ病も悪くありません(笑い)。体の病気と同じで上手に付き合って行きます。うつ体験は家族への感謝と自己成長の学びでした」。
気づきが深まった彼の笑顔が、今でも忘れられません。
「不幸を数える人は、今すぐ不幸な気持になれる」――これはその逆バージョンです。
また、「人は十人から褒められるよりも、一人から批判されたことを強く心に残る」。
あなたもそんな経験はありませんか?
インフルエンザと同じで、“不幸感・マイナスのエネルギー”がより自分と周りへの感染力を強めるのです。
一方、笑顔の大切さを証明する米国の心理学者、マッコーネルの研究があります。
『しかめっ面の医者は、笑顔の医者よりも2倍医療ミス裁判で訴えられていた』。
また、『しかめっ面は精神的汚染剤』とまで言っています。
12月は何かと集まる機会が多い季節。
一年を通し、良かった点に焦点を当て、楽しい感謝の会を提案してみてはいかがですか。
特にお酒の席での否定的な言葉や態度は、冷酒と同じで後でジワーッと効いてきます。
笑顔と幸せ感は表裏一体です。
私のリセット法の一例です。
1.長めのお風呂。
2.座布団に正座し、録画した『笑点』を出演者とともに回答する(笑)。
など、その日の気分によって様々な工夫でプラスに切り替えて床に就きます。
「笑顔で幸せなこと、生かされていることに感謝しつつ眠る」。
朝の目覚めは快適です。
あなたも自分に合った眠りの工夫をしてみませんか?
≪企業や組織のトップに立つ人たちには それぞれの歩んだ道がある
振り返れば その歩みの始まりが どこかにある
忘れたことはないふる里
同じ屋根の下で暮らした家族
様々なことを学んだ学校
部活で共に泣き笑った友達
心に刻んだ音楽や本
仕事とは何かを教えてくれた上司……
それらを ここでは『源流』と呼ぶ≫
毎週TV放映の『トップの源流』は様々なことを想起させてくれます。
物心ついた頃から十七歳違いの長兄が出家(小学4年)したご縁で明栄寺に母親と一緒に度々お参りしました。
お彼岸のお説教では「お位牌を中心に必ずローソクと花を捧げる。ローソクは智恵の光、花は優しさ(慈悲の心)」、お釈迦様にまつわる様々な話など。
「どうしたらもっと良い方法に気づくか」と工夫する智恵、
「どうしたらもっと人を喜ばせ、人の役に立てるか」と工夫する慈悲。
「クヨクヨするより工夫せよ」
この二つの教えは心理学援助者として大切にしてきました。
先日、日本仏教の母といわれる比叡山延暦寺巡りをしてきました。
釈迦如来の脇を固めている、文殊菩薩(智恵)、普賢菩薩(慈悲)。
釈迦三尊の参拝は73年の心の垢を洗い流し、清々しい気持ちで下山しました。
私にとっての一番の源流は智恵ある父と慈悲深い母の下で育ったことです。
心理学援助者として、謙虚さの大切さを教えてくれた一つに、『大漁』があります。
『朝焼け小焼けだ 大漁だ 大羽いわしの 大漁だ 浜は 祭りのようだけど 海の中では 何万の いわしの とむらい するだろう』
童謡詩人、金子みすずさんは自分側、こちら側に偏らず、慈愛に満ち、優れたバランス感覚と見方・考え方ができる人でした。
浜の喜びと海の悲しみの両視点は私の教訓にもなりました。
かつて、父娘の葛藤を面接したことがあります。
S子さん(40代半)面接6ケ月後、機が熟した頃、父娘の合同面接を重ねました。
父「夫婦で大きくしてきた商売をS子が婿養子を迎え、継いで欲しいと長年期待していた。
24歳で結婚して出て行ったときは眠れない日々が続き落ち込んだ。
継いでくれた妹夫婦に悪いと思いつつ長いこと切り換えができず、S子には冷たい態度をとったのはすまなかった」
S子さん「小さい頃から可愛がってくれたお父さんの期待に沿えなくて本当にごめんなさい…(涙)」
本音で語り合ううちに父娘は相手の立場、思いを理解したのです。
「雪が溶けると水になる」
一方、雪国の人たちは「雪が溶けると春になる」
環境、立場の違いの出合に日々「気づき」の連続です。
書斎に掛けている、日めくりカレンダー(定価898円)相田みつを氏の教えです。
人は強いストレスを受けると、認知(ものの見方・考え方)が否定的になり、見るもの聞くものすべてが悲観的になる傾向があります。
その結果、抑うつ感や不安感が強まり、日常行動に支障をきたしていくのです。
歪んだ見方・考え方を修正する心理技法の一つに認知行動療法があります。
かつて、複雑な遺産相続の解決を指導したことがあります。
一人で抱え込んでしまったH氏は抑うつ症になり、思考停止状態でした。
そこで認知行動療法を適用することにしました。
もつれた糸をほぐすように問題を書き出して図表化し、優先順位の行動指針を作りました。
1. 遺産公正証書
2. 財産目録
3. 株券、現金化手順
4. 家屋解体・土地売却
特に大切にしたのは専門家との良好な意思疎通でした(解体業者・司法書士・測量士・不動産屋・税理士等々)。
現場を初めて見た測量士は「長年やってきて、このような複雑な物件は初めてです」。
予想通り問題の連続で2年6ケ月を要したのです。
解決のめどがたち、将来の不安が解消されたH氏は、抑うつ症状が軽減したのは幸いでした。
私の座右の銘「積極的に力強く、具体的に行動すればどんな困難も打破できる」
心理療法の一つに「未完の行為」という概念があります。
平たくいえば、ある瞬間に言いたいこと、なしたいことを手控えてしまうと、いつまでも後悔が残り、不快感や罪悪感に悩まされることになります。
「あの時、このように言えばよかった。あのようにすればよかった」と誰もが経験するものです。
私にもいくつかの未完の行為があります。
かつて、ある事情で師匠の代わりに講演をしたことがあります。その時、主催者から「そんなに若くて、代わりが務まりますか?」と言われ、何とか2時間の講演は終わりました。
しかし、虚をつかれた私は一言も言葉を返し得なかったので、辱められた感じが強く残りました。
そのことを暫くたってから師匠に話すと、師匠は言いました。
「竹内さん、そのことからどんな学びがありましたか?」
「ハイ!若いですが、プロとして今日のテーマに自信がありますと、言い返せば良かったです(笑)」
私は運よくこのうらみを原動力にしました。しかし、この未完の行為に押しつぶされている人が少なくありません。
それゆえに私は心理学援助者として寄り添い、より良い自己主張を身に付ける練習で「柔軟に対応でき心が軽くなった」と喜ばれています。
「人生はジグソーパズルのようなものだ! 『未完の行為』を自己主張(ピース)で埋める」
私の座右の寓話があります。
「ある村の収穫祭で、村の衆が徳利に酒を持ち寄り、酒盛りをすることになった。
弥助は『大勢だから自分一人くらい水を入れてもわからないだろう』と涼しい顔で、大きな釜に入れた。
ところが、村の衆みんなが、同じように何食わぬ顔で水を入れた。
満杯になった釜を熱燗にして、やがて酒盛りが始まった。
まさか、自分と同じことをみんなが考えていたとは……』。
酒ではなく、お湯でみんなの顔が赤くなったという」。
岡田武史氏(元サッカー代表監督)も「祭りの酒」をしばしば選手に聞かせたそうです。
ある講演会で次のようなエピソードを披露しています。
「全員で声を出して体操!」と言って号令をかける。
しかし、実際に声を出して体操しているのは三分の一ぐらいしかいない。
「お前たち、全員で声を出してと言わなかったか?」と聞くと、
「いや、僕が声を出さなくても、誰かが出します」と答える。
「お前なあ、全員がそう思ったらどうなるんだ。
一人ひとりが<自分のチーム>だと思わなくてどうするんだ」。
小学生の頃、運動会の綱引きの後、先生からこの話を聞き
「自分のことを言われているのでは?」と恥ずかしい気持ちになりました。
それ以来、組織のどの立場にいても、陰ひなたなく全力を尽くすようにしました。
ある対人関係心理研究所の調査では、第一印象の良い人は7割から8割が後々まで好印象を残すという結果が出ました。
かつて、教育心理学の授業で米国の言語心理学者、メーラビアンの研究を学びました。
話をする際に相手に伝わる情報として、話の内容自体は7%、声の調子(強弱やイントネーション)に関するものが38%、そして、見た目(表情・態度・ジェスチャー)が55%を占めるとされています。
即ち、「対人関係の基本は身だしなみや相手を尊重し、謙虚な態度を心がけることは、自分の考えを伝える有効な手段なのです」。
ある時、教授に
「先生は夏でもネクタイ、スーツのお姿ですが・・・」
「よく聞いてくれたね(笑い)。学生の皆さんが高い授業料を払って受講しているので暑くても敬意を払って・・・」
にこやかなこの会話は私の宝物になりました。
かつて、ある若者が
「今度就職面接があるのですが、何か気を付けることはありませんか?」
「・清潔感のある身だしなみを心がける
・面接官としっかり目を合わせて、適切なタイミングで相槌を打つ
・口角を上げて明るい表情を保ち、背筋を伸ばし、ハキハキと応えることを意識する」
もちろん、志望動機を明確にして、しっかり練習することも付け加えました。
「別れの儀式は昔の人の偉大な智恵」です。
人生は出会いと別れの連続でもあります。
私たちは生きていく過程で、数多くの出会いを経験し、同じだけの別れに遭遇します。
さよならには三つの種類があります。
一つ目は小さなさよなら。「じゃあ、また」。
二つ目は中ぐらいの別れ「また、来年の同窓会、元気で会いましょう」。
三つ目は大きな別れです。その最たるものが死別です。
16年前、観た映画「おくりびと」の中で、風呂屋のおかみさんが亡くなって火葬場で付される時、火葬場の係りのおじさんが
「行ってらっしゃい、また会おうね」と言う印象に残るシーンがありました。
一緒に観た娘に食事しながら
「もしどちらかが早く旅立つことがあったら、明るくこのセリフを使おうね」と約束しました(笑)。
それから16年後、親子で心がけた「笑いとユーモア、そして、希望」の療養生活は、奇跡の連続と最高のケアを受けながら旅立ちました。
弔辞は
「…… 病気療養中の娘がお世話になっていた『ちくさ翠香邸』では気がねなくいつでも会うことができ、親子でかけがえのない時間を過ごしました。
これは娘からの最後の親孝行だと思っています。今も思い出されるのは、キラキラと輝く娘の笑顔ばかりです」。
みおくりは
「行ってらっしゃい。また会おうね」。
人生を決定づけるものは様々な“出会い”だとよくいわれます。
特に人と人との出会いほど人生を決定づけるものはないでしょう。
私は「三つのカク」を実践指導してくれた、守部昭夫氏(日本の実践心理催眠学の草分け)の出会いでした。
1.「文字や図を書く(描く)」
文字や図式化することで、頭の中にある考え方や心にわだかまっている感情を吐き出して、考えを整理し具現化できるのです。
その結果、多くの困難な問題を解決してきました。
また、三冊の著作や16年間継続中(193回)のブログなどは、書く習慣の賜物です。
2.「汗をかく」
師は「オフィスで面接するだけでなく、こちらから家庭・学校・会社に赴き、相談者と一緒に汗をかき共通の事柄を経験し、現場に息づく本音を発掘しなさい。
問題解決は現場にあるのだから」。
3.「恥をかく」
米国のエサレン心理研究所の恥のワークショップは貴重な体験でした。
車座で今まで恥ずかしい事柄をひとり一人何度も発表していくのです。
恥を皆で分かち合うことで見方が変わりました。
対人関係心理学では「自分が心を開いた分だけ相手も心を開く」との教えがあります。
また、自己開示できる人が心の広い人だともいえるのです。
かつて、54年前、高校卒業時に尊敬する空手の西村師範(天草拘置所・所長)から贈られた『ことわざ』です。
「今の楽しみのみ行動すれば、そのときの欲求は満たされ、楽しいかもしれないが、ただそれだけのことで何も残りません。
これから新たな世界に飛び立っていく君たちには、三十年先、いや少なくとも十年先の目標実現のために空手の精神で苦労を楽しんで下さい。
人間形成に近道はありません」。
この三月に孫娘から大学卒業のメールが届きました。
「小さい頃、令優じーじをはじめ沢山の愛を注がれながら家族から種まきをしてもらったお陰で、花を咲かせられていると感じます。
4歳でお泊りデビュー。映画『どうぶつの森』で泣いたこと、タクシーの中で本を読み続け、半ば笑いながらライトを照らし続けて頂いたこと、すべて覚えています」。
孫たち三人のお泊りに際し、よく遊び、楽しい食事・・・。
夜は笑いとユーモアの合宿所・・・。
というのは必ず思春期・青年期は様々な問題が噴出するので、楽しい思い出づくりは“信頼関係の種まき”をしていたのです。
その甲斐あって三人の孫たちは、進路や様々な悩みなど、相談してくれています。
「人づくり・自分づくりは三十年。自論~成人式は三十歳」
私の座右の寓話に生クリームに落ちた二匹のカエルがあります。
「二匹のカエルは同じ場所をかき回しては、沈み、浮き上がることを繰り返した。
一匹目のカエルは『もうダメだ、こんなに苦しい思いをするのは…』」。
もがくのをやめると、白い液体に飲み込まれた。
二匹目のカエルは『死が近づいているのは分かっている。でも、僕は最後まで戦うぞ!』。
ひたすらかき回し続けるとなんと、生クリームがバターになったのだ。
カエルは桶からひとっ飛びで外の世界へ脱出した」。
20代の頃、自分の誕生と重ね共感しました。
私は母のお腹の中で蹴りまくったそうです。
必死に「何がなんでも外の世界に出るぞ…?」。
というのは、七番目の私は堕胎される予定だったのが、田舎の乏しい医療技術のお陰で堕りなかったのです (笑い)。
幼い頃、近所のおばさん達が天草弁で
「令ちゃんは堕りなくて、ふ(符)の良かった(運が良かった)。生まれてきただけでも丸儲けたい」と話題にされていたのです。
当時は腹立たしかったのが、座右の銘になるとは不思議な巡り合わせです。
因みに「ふ(符)の良かった=符(運)は巡り合わせの意味です」。
心理学的援助者として面接、講演や6年間293回のラジオ出演など、毎回、最後の一言を大切にしてきた50年ですが、今でも反省の多い毎日です。
別れに際しての「最後の一言」が、とても相手の心に残ることが対人心理学でも証明されています。
たとえば、職場でもこんな言い方があります。
「君は頑張ってはいるけど、報告が遅い」。
「君は報告が遅いけど、よく頑張っているね」。
言葉の順序を逆にしただけで、印象が随分違って聞こえるはずです。
前者はマイナスの言葉で終わるが、後者はプラスの言葉で終わります。
後者であれば「次からは報告を早く上げよう」という気にもなるのです。
また、電話での最後の一言も
「久しぶりにあなたのお声を聞けて嬉しかったよ。お休みなさい」。
人間は良しにつけ悪しきにつけ、最後に耳に入った言葉を溜め込む生き物なのです。
かつて、中学三年、最後の面談で担任の先生から
「竹内君はやんちゃな面があるが、勉強に関しての努力の凄まじさは、今まで多くの教え子の中で一番だな…」と言われ、母がとても喜んでくれました。
その一言が不器用な私に「学ぶことの楽しさ」を教えてくれたのです。
かつて、学んだ、米国のゲシュタルト・心理療法家、パールズ博士は健康人の定義を
「何か問題が起きた時に、いろいろな角度から考え、柔軟に対処する人」と述べました。
これは心の健康を理解するうえで極めて重要なヒントになりました。
考え方の柔軟性は落ち込みから立ち直る強力な武器なのです。
特に気づかされたのは「気づきの三つの立場」でした。
①~について。
②~に向かって。
③~になって、の体験学習です。
それは研修室にある物で一人三役を即興で演じなければならないのです。
私は座っていた椅子を選びました。
①椅子について
「この椅子は木で作られています。また、頑丈な椅子です」。
②椅子に向かって
「椅子さん、あなたは多くの人達の役に立ってきましたね。私もあなたのお陰で長時間の受講ができ、感謝です」。
③椅子になって
「私は椅子です。私を乱暴に扱ったりすると壊れるので大切に扱ってね。私が壊れたら少しは感謝して捨てて欲しいね」。
単なる物から“命を吹き込まれた椅子”に変身したのです。
帰国後、③の「~になって(相手の身になる)」の練習を積み重ねた結果、来談者の方から
「私が言いたいこと、解って欲しいことを深く理解して頂けるのが不思議です」と言われました。
私は様々な企業で講演する機会があり、しばしば用いる「受け止め方」の例があります。
例えば警察官。
「あなたが、夜道を歩いている時、警察官がいれば心強いものです。
ところが、駐車違反をしていたとすれば、警察官がいればドキドキします。
警察官自体は何も変わらないが、自分の心理状態によって受け止め方が違うのです」。
かつて、中間管理職の会社員は、
「帰宅しても子どもがうるさく、妻が母親の悪口を訴えるなど家にいても心が休まらず、ノイローゼ気味です」と話していました。
信頼関係を築いた後、私はこう伝えました。
「家庭は憩いの場であるという信念をお持ちなのですね。
『ハイ!そう思っています (笑)』。
憩いの場であるにこしたことはないが、産業心理学では、『家庭は第二の職場と心得よ』との教えもあります。
会社ではうるさい上司や生意気な部下とどう折り合っていくか、いつも工夫しておられますよね。
職場とはそういうものだと受け止めているからなのです。
同じように家庭も第二の職場と思えばさほど苦にならないのです」。
数回の面接で良い知らせを受けました。
このように人生を上手に乗り越える秘訣は柔軟な受け止め方なのです。
「冷たい冬のある日、二匹のヤマアラシは凍(こご)えることを防ごうとぴったり体を寄せ合った。
だが、まもなく相手のトゲが自分の体を刺して痛いので体を離した。
離れると寒く、くっつくと痛い。
そういうことを繰り返していくうちに、ついに、お互いを傷つけずにすみ、しかもほどほどに暖め合う感覚を発見した」。
人と人との距離感には二つの種類があります。
一つは物理的距離感、もう一つは心理的な距離感です。
自分にとっての「適度な距離感」とは、自分にとって「心地良い距離感」なのです。
ここでやっかいなのは、自分にとっての「心地良い距離感」と相手にとってのそれが必ずしも一致しないことです。
このズレを上手に調整する人を世間では如才ない人。すなわち、対人関係をそつなくこなす人と呼びます。
かつて、20代の頃、師匠から
「竹内さんは情が深いからつかず離れずの関係を持ちなさい」とよく言われたものです。
それでも徹底主義者の私にとって淡々とした人間関係を築けなく失敗を重ねたものです。
しかし、そのお陰で深く人間心理を理解できたのは得難い経験でもありました。
中村天風氏は『真人生の研究』のなかで、こんな実験結果を報告しています。
『平素から、悲観ばかりしているAさん、怒りっぽいBさん、臆病なCさん、という三種の人たちに集まってもらいました。
彼らが吐いた息からつくった液体を、別々のモルモットに注射しました。
すると、AさんとCさんの液体を注射されたモルモットは数分後に苦悶し、虚脱状態に陥りました。
また、怒りっぽいBさんの液体を注射されたモルモットは、四肢の末端が麻痺し、動きが緩慢になっていったのです』。
悲観も、怒りも、臆病も、マイナスの感情です。
モルモットがこんな状態になってしまうのですから、当の本人の心身にも悪い影響を及ぼさないはずがありません。
とはいえ、深刻な悩みを抱えているときにプラスの感情、笑顔をつくるのは簡単なことではありません。
私は来談者の面接の中で、常に笑顔で語りかけるようにしています。
そして、悩みを別の角度から見ることができないかを一緒に考えます。
すると囚われていた自分に気づき、柔軟な心へと変化し、徐々に笑顔、笑いへと発展していくのです。
「笑・顔は人生、最高の良薬」。
暗示の両刃の剣、2事例を紹介しましょう。
1.米国での実験です。
ある医学生を3人の医学生が示し合わせて病気にしてしまおうというものです。
ターゲットとなる学生にまず1人が校門で「何だか顔色が悪いね」。
次の2人目が教室で「真っ青だけど、どこか悪いんじゃない」。
さらに3人目が「早く帰って寝た方がいいよ」。
度重なる暗示に、医学生は家に帰って寝込んでしまったというのです。
否定的繰り返し暗示の悪い例です。
その後、種明かしから医学生は自己回復しました。
2.私が小学3年生の時でした。
頭痛がして父に病院に連れて行ってもらいました。
にこやかにお医者さんは、色々と安心するような話をしてくれたのです。
すると、不思議にスーッと頭の痛さが解消されました。
医師という権威ある人からの“暗示(ことば)”の影響は大なのです。
発達心理学では「お母さんは天性の暗示者なり」の教えがありますが、特に幼少期は肯定的言葉かけが肝要なのです。
作家、向田邦子さんの教え
「書く話し言葉は消しゴムで消すことができるが、話した言葉は消しゴムで消すことができない」。
肝に銘じたいと思います。
シェイクスピアの『ハムレット』の一節です。
かつて、信頼関係を築いた後、大学受験生M君に選択(決断)について語りました。
「家に帰ってゲームをするか?宿題をするか?など、私たちは毎日、何かしらの選択を迫られています。
その選択の積み重ねが今の自分を作り上げているのです。
毎日学習をせず、遊ぶことを選んだとしたら、当然、テストの結果は悲惨なものになりますよね。
私たちの周りには様々な誘惑がありますが、迷った時は自分にとってプラスになる、より良い選択肢はどれなのかをよく考えて下さい。
それが後悔のない人生を送ることになります」。
20年後、家業の経営者になったM君は
「社員教育や二人の子どもにも『選択(決断)』の重要性を折に触れ話しています」との報告。
また、知人のTさんは、遠方のお姉さんと一緒に寝たきりの妹さんに会いに行きました。
持参した子どもの頃の父母の写真などを交え、穏やかな時間を過ごすことができたそうです。
「スケジュール調整が難しい中、思い切って決断してよかった」と喜びを語ってくれました。
『過去の選択肢は選び直すことはできないが、これからの人生はいくらでも選択肢があるのです』。
ウイリアム・ジェームズ(米国を代表する哲学者、心理学者)の言葉です。
また、「心が変われば行動が変わる・行動が変われば習慣が変わる・習慣が変われば人格が変わる・人格が変われば運命が変わる」とも言っています。
成功者の研究をしていくと、その最大の特徴はまず「心構え」、その人の「考え方」なのです。
かつて、大学受験を控えた17歳の知人の息子さんが母親と一緒に来談しました。
相談目的は急激な成績の低下と、安易な方にすぐ流されるので将来が心配とのことでした。
「S君は将来何になりたいのかな?」
「経営者になりたいです」
「そのためには何が大切ですか」
「大学の経営学部で勉強したいです」
「なるほど、だから成績を上げたいんだね」
「ハイ!」
「私が提供できることは二つです。
1.勉強の仕方。
2.人間力を高め、魅力ある経営者になるための心構え。
そのために三つの約束を実行してください。
1.言い訳をしない
2.週一の予約の時間厳守
3.毎日、夕方に電話を入れることと日記を書くこと」
三ケ月間、「成功とは自分が決めた目標を一つひとつ達成するプロセスである」を肝に銘じ、習慣化したS君は自信を深めていったのです。
大谷翔平選手の愛読書の一つに、アンドリュー・カーネギー(米国の鉄鋼王、カーネギー・ホールの設立者)の『富の福音』があります。
カーネギーの著書に興味深い記述があります。
「仮に二人の若者がいたとしよう。一人は、川を飛び越えようとしてジャンプしたが、流れの真ん中に落ちて流されてしまった。もう一人は、ジャンプして無事に対岸に着地することができた」。
失敗した若者は、目的のための手段を計算に入れず、前もって訓練していなかったのです。
一方、成功した若者は、自分がどれだけ飛べるか、助走の距離と踏み切る場所など、注意深く訓練していたのです。また、川幅を正確に測ったうえでのトライという思慮分別にたけていたのです。
深層心理学では「大胆な行動には、徹底した準備あり」との教えもあります。
目的に向かった徹底した準備は、世の成功者の共通した心構えでもあります。
私も20代の頃からカーネギーの教えを学んだおかげで、50年間、心理学的援助一筋に邁進できました。
また、事にあたり普段から準備を怠らず、本番の直前まで最善を尽くす習慣は、70代になった今も継続しています。
ケンタッキー大学の研究チームは、180人の修道女を対象に、彼女たちが20代からつけていた日記を調べました。
そこでわかったことは、前向きな気持ちを多く記していた修道女は、ネガティブな気持ちを多く記していた修道女より、平均して7年も長く生きたのです。
また、WBCで活躍した大谷翔平選手の愛読書の一つに、中村天風著『運命を拓く』があります。彼はネガティブ発言をしないのは、“天風哲学”の実践家だからです。
私自身も20代から天風哲学を学び、「困難な状況は学びと飛躍のチャンスなり」と、大いに積極的な人生を歩むことができました。中村天風氏の教えは「日々を積極心で活きる」。即ち、
「万物の霊長たる人間に生まれた以上、自己は何たるかを自覚せよ。怒り、恐れ、…いかなる感情や感覚が芽生えようとも動揺せず、積極心を常に保ちなさい」。
同様に、感情心理学では大まかに「愛の感情」と「恐怖の感情」の二つに分類します。
「感謝」「思いやり」「称賛」「ゆるし」といった「愛の感情」は、自律神経を安定させます。
しかし、「怒り」「悲しみ」「苦しみ」「罪悪感」といった「恐怖の感情」は心身を蝕むのです。
ならば、“意識的に”愛の感情を育むことが肝要です。
かつて、三十代の頃、三百人の前で講演をしたときのことです。
話しているうちに、手の平に汗をかき、心臓がドキドキして、「この講演は失敗に終わるのでは?」と思い始めたのです。
というのは、前列の男性が気になって仕方がなかったのです。男性は腕組みをして身動き一つせず、私の冗談にもニコリともしないのです。あの人は“若造の私の話が気に入らないのだ…”と思いました。
何とか講演が終わり、ステージを降りた時、その男性が近づいてきました。「有り難うございました。あなたのお話を聞いて、色々と気づかされました」と。
私の勝手な思い込みは『真実』ではなかったと、大いに反省したのです。
それ以来、チラチラ時計を見る人やソワソワする人がいても、きっと相手方にそれなりの理由があるのだと割り切り、フラットな気持ちで講演に臨むようになりました。
また、現代においては特殊技術が進み、人工知能で誰もが合成画像を作れるこの時代、何が『真実』なのかを見極める力が益々重要になってきました。
大局的な見方、柔軟な見方を日々高め続けたいと思います。
パナソニック創業者、松下幸之助氏の言葉です。
また、氏に記者の方が「あなたの成功の秘訣を教えてください?」と尋ねると、氏は「秘訣か、3つあるな」と答えました。
「1つは貧乏だったことで、一生懸命働こうと思い、わずかな給料でも感謝できた」
「2つ目は、学歴がなかったから、人に素直に教えてもらおうと思った。耳学問の大切さだな」
「3つ目は、体が弱かったから、人の能力を信じて、任せることができた」
自分の弱みは即、強みに転換できるのです。
かつて、女子学生に「お父さんの好きな面を20項目、書き出して下さい」と指導しました。
「父親の良い面が見つからない」と言うので、今の父親だけでなく、過去の思い出まで広げてもらいました。
病弱な幼い頃を想い出した彼女は「最近は会話もしないで、父親に申し訳なく思った」と言いました。
「人生にはいくつかのハードル(壁)があるけど、感謝する気持ちを持てる人は必ず乗り越えられますよ」と伝えました。
物事の見方というのは、視点を変えることで「良い面」が見つかります。
「変わりたい自分」がいるなら、1つの出来事の中からどうやって感謝を見つけ出すかが、幸せの第一歩であり、成功者への道なのです。
私は小4年の通知表に「ふざけて笑わすクセがあります。それが過ぎると嫌われます」と書かれていました。
それを読んだ母は「とうとう書かれたね。ワッハッハー」と笑い飛ばしてくれました。
ある経営者が「竹内さんは心理学援助者として、どんなことを心がけていますか?」と尋ねました。
私は「相手を尊重し、笑顔・笑い・ユーモアを心がけています」と答えました。
笑顔も笑いも後天的な学習によって習得できるのです。
「日常の喜び探し」や「うれしがり屋」「感動する」「感謝する」習慣から、良い表情筋がつくられるのです。
20代の頃、感銘を受けた記事『クリスマスの笑顔』があります。
「元手がいらない。しかも、利益は莫大。与えても減らず、与えられた者は豊かになる。一瞬のあいだ見せれば、その記憶は永久につづく。どんな金持ちもこれなしでは暮らせない。どんな貧乏人もこれによって豊かになる。家庭に幸福を、商売に善意をもたらす。疲れた者にとっては休養、失意の人にとっては光明、悲しむ者にとっては太陽、悩める者には解毒剤の…笑・顔」
幼い頃、貧しくても家庭に笑顔あり、笑いありで、心が豊かだったことに気づかされました。
毎年の熱海同窓会がコロナ禍でもあり、三年ぶりで、お互い心の触れ合いに飢えていました。
深夜にもおよぶ笑いの絶えない、天草の自然『山の幸・里の幸・海の幸・地域の人間関係』を大いに語り合ったのです。
また、女性陣は深夜2時まで盛り上がり、寝不足ながらも早朝4時半に朝風呂に直行したとのこと。「天草育ちのおなごは元気です (笑)」。
私も露天風呂からの壮大な自然、日の出は心が洗われたものです。
同窓生は皆「雑草のようにたくましく、竹のようにしなやかに、優しい」面々です。
帰宅後、S子さんからのメールで「二日間、いぃ~ぱい笑い、お話し出来、幸せな時間を過ごせました。メール、電話より顔を見ての会話、心が伝わります。最高!」。
言語心理学者、メーラビアンによれば、対人影響力は、言葉の内容(メール)は、わずか7%。
声の調子・抑揚(電話)などは、38%。表情・しぐさ・態度などの影響力は55%とのことです。
同窓会は、この三要素(100%)を満たす、かけがえのない体験なのです。
「人生の価値は、どれほどの財産を残したかではない、何人の同窓生と語り合ったかである」。
渥美清さんの「フーテンの寅さん」に、こんなセリフがあります。
「いいかい、俺とお前は赤の他人なんだよ。早い話が、俺がいくら芋を食ったからといって、お前のケツから屁が出るかい?」。
自分と他人では、ものの見方・感じ方・行動の仕方が違うことを示唆した名セリフです。
この認識はごく当たり前のことですが、意外に分かっていない場合が多いのです。
20代の頃、相手の立場になって考える秘訣は「相手に誠実な関心を寄せること」と師匠から教わりました。
また、「言わないと、分からない。聞かないと、解らない」ことを肝に銘じ、本音で対話できる雰囲気づくりの大切さも学びました。
「他の人の目で見、他の人の耳で聞き、他の人の心で感じる」、この心がけの訓練を50年間継続してきました。
個人心理学の創始者、アドラーはこう言っています。
「他人のことに関心を持たない人は、苦難の人生を歩まなければならず、他人に対しても大きな迷惑をかける。人間のあらゆる失敗はそういう人たちのあいだから生まれる。人生のあらゆる問題は、対人関係の問題である」。
私にとって意味深いことばで、何度も繰り返し味わったものです。
対人心理学では13歳までの出逢いが、その後の生き方に大きく影響すると教えています。
私自身のエピソードでは、人を差別しないということを母から学びました。幼き頃、我が家は壊れそうな家であったが、五右衛門風呂があり、近所の子どもたちも入りに来ていました。
友達が入っている間に母はウンチの付いたパンツを洗っていたのです。
私は「何でよその子のパンツまで洗うの?」
「よその子も我が子も差別はなかとよ(熊本弁)」。
その一言が今でも鮮明に思い出すことがあります。
人が人を差別することを、私は諸悪の根源であると思っています。お陰で人種や家柄、学歴などで人間を判断することを今日まで徹底的にしませんでした。心理学援助者として、最も大切な資質を授かったと感謝しています。
また、数多くのラジオ・TV出演、講演活動などの成功の要因は、32年前の仲さんとの出逢いでした。採用面接で、「これは素晴らしい人だ!」と直感したのです。
私の不得手な経理、事務処理能力や私の口述を整理し、体系化する能力。私に欠けていた最後のピースを埋めてくれたのです。
そういう人にめぐり逢ったときの感動は、口には言えないものがありました。
医師には三つの武器がある「第一にことば、第二に薬草、第三にメス」。
三千年前の医師、ヒポクラテスの名言です。
医師が第一にすべきことは、患者との言葉による信頼関係が重要だと示唆しています。
言葉は暗示の力として、本来人間に備わっている自然治癒力を促進する働きがあるのです。
かつて、心身の不調で数か所の病院を巡り、病院不信になった来談者が多く訪れました。
「お医者さんの診断は如何でした?」
「どの医者もパソコン画面を見て目を合わせることもなければ、『では、薬を処方しておきましょう』」
「不信が募ってこちらに相談に来ました」
患者は弱い立場なので、色々と聞きたいことも聞けず、益々不安が増幅したのです。
私は心理学援助者として、それと真逆のアプローチをしているので、大変納得され元気になっていかれます。
即ち、相手の目を見て微笑みながら
「Mさんのおっしゃっていることは〇〇という理解でよろしいでしょうか?」
確認しながら、お互い自由に話しができる雰囲気づくりが大切です。
「病は気から」なのです。
これからも質の高い人間関係を築くための人間力を高めたいと思います。
最愛の母を18歳で亡くしたことで、うつうつと生活していた私に転機が訪れました。
ある奈良の座禅道場の法話の中で、こんな話を聞きました。
「恩を返そうにも不可能な場合があります。親孝行したくても、もうこの世にはいない人もいるでしょう。
そんな時には、恩を与えてくれた人などに直接返すのではなく、別の人に返すと良いようです。
誰かにもらった恩を、別の人に返す。すると、その人がまた自分ではなく別の人に返す。
そうやって、世の中全体に恩が循環するようになります。恩を順送りにするわけで、これを『恩送り』と呼びます」。
目から鱗が落ち、母の生き方そのものであると実感しました。
それ以来50年、ことある度に甥や姪にもこう伝えています。
「叔父さんがしてることは直接返さなくても、他の人に『恩送り』をしてね」。
7年前、腎移植をすることになり、ドナーの提供者が甥や姪を始め5名ほどいました。
そのとき、恩を循環させることが、運を循環させることにも繋がるのだと実感しました。
これからも恩の順送りを肝に銘じて生きていきたいと思います。
昨年、72歳の幸せな生涯を終えた知的障がいの知人は、
“この世で最高のメロディーは自分の名前を呼ばれた時である”を実践した、
顔と名前を憶える天才でした。
人懐っこい人柄は周りを癒し、対人関係のお手本でした。
対人関係心理学講座を主催する時も、私は彼の基本姿勢を忘れないようにしました。
この講座で、アンケートを取り続けたことがあります。
設問は「かつて、あなたが好感を持った人たちの特徴を教えて下さい」。
多かったものから列挙すると、
「優しいまなざし・感じのいい笑顔・優しい口調・話をよく聞いてくれた・認め尊重してくれた・努力を褒めてくれた・一番つらい時、寄り添ってくれた」などです。
アンケートから導かれたことは、相手を認め、話をよく聞くことが、
より良い対人関係のはじまりだということです。
対人心理学では「人間の最大の関心事は常に“自分”である」と教えます。
人は相手を認め尊重し、好意を持つと良いところが見えるようになり、
相手からも好意を持たれるのです。
論理的思考と同時に「人間は感情の動物である」を理解する人が、
対人関係の達人であり、成功者への道なのです。
「喜びは親しい人に話すと二倍になり、悩みは親しい人に話すと半減する」。
この格言は、心理学でも実証されています。
米国の心理学者サイモン・シュナルたちは、実験参加者たちを坂のふもとに連れていき、
その坂の角度を推測してもらいました。
このとき参加者を「友人が側にいる」グループと「一人で」推測するグループに分けて調べました。
面白いことに、友人と一緒に推測した人は、一人で推測した人に比べて、
坂の傾斜を「ゆるい」と判断したのです。
さらに親密な友人ほど、傾斜の緩和効果は大きかったのです。
同様な事例で、ある知人の娘さんが脱水症状で点滴治療を受けました。
なかなか強い吐き気が止まらず、看護師も首をかしげていました。
そこで父親が呼ばれ、側に付き添うと不思議にピタッと止まったのです。
担当医と看護師から「お父さんは精神安定剤?」と笑われたそうです。
私自身も大病や困難、悲しみなどに打ちひしがれそうなことが幾度もありました。
その度に親しい人の存在が、それに立ち向かう大きな勇気を与えてくれました。
「親友は心友なり」と、つくづく感謝する毎日です。
50年間、心理学的援助者として「癒し、癒される」関係性を第一に重視してきました。
たとえば、人は愛を「触れる」ことで伝えようとします。
人に愛情を持って触れると、互いの脳は「絆ホルモン」といわれるオキシトシンが分泌され、リラックスし、ストレスが癒され、深い絆が築かれていくことを健康心理学では実証しています。
かつて、うつ病で入退院されていた主婦の方が来談されました。
子育てや夫、義父母の世話を完璧にし過ぎた結果、心身に不調をきたしたのです。
長年の心の苦しみを傾聴した後、二つの提案をしました。
ひとつは完璧主義からの解放です。
うつ症状に最も効果的な認知療法(偏った思考の修正)の指導です。
二つ目はストレッチングや体ほぐしなどによる体の快体験の回復です。
やがて、心と体の自己回復によって長年苦しめられていた自殺願望が消失していったのです。
また、不安の強い二人のお子さんにも寝る前と朝の二回、ハグすることを提案しました。
親子の関係は温かく愛情溢れるものになり、会話も増えていきました。
「心のこもった触れ合い」のパワーは絶大です。
「否定的ことば癖」の人よりも「明るい肯定的ことば癖」の人が、健康寿命の促進や認知症になりづらいことが健康心理学で証明されています。
かつて、私は子供に学習心理学を応用した、学習指導をしたことがあります。
とくに印象深い事例は中二のAさんで、彼女は必死でしたが成績は思わしくありませんでした。
Aさんは課題を前にして、「でも」「だって」「どうせ」という「3つのD」が口癖だったのです。
そこで「否定的ことば癖」が学習に悪影響を及ぼすことを説明しました。
納得したAさんにこの「3つのD」を言わない、心の中でも思ってもいけないと約束させました。
その代わりに「できる」「やってみる」と考え、実際に口にしてみることを指導したのです。
すると素直なAさんは分からないことを徹底的に調べ、成績が著しく向上したのです。
また、Aさんは陸上部の部長にもなり、積極人間に変身していきました。
今年、大学生となり満喫しているとの嬉しい報告も受けました。
子どもも大人も、全ての人が「肯定的ことば癖」の習慣を持つことは、脳を活性化し、より良い人生を生きる秘訣なのです。
来談者M氏は、技術職から営業部に変わり、人間関係に苦慮していることで相談に来ました。
じっくり相談目的を傾聴した後、私は尋ねました。「Mさん、物理の作用・反作用を解り易く説明して頂けますか?」。
理系のM氏は白板にイラスト付きで、作用(加えた力)、反作用(力を加えることによって受ける力)を説明されました。
そこで私は伝えました。「Mさん、あなたがどんな関わり方、作用するかによって相手の反作用が生じるのです」。
M氏の描いた白板を利用して、良好な信頼関係を築く心理作用の三要素について説明しました。
「ひとつは、常に笑顔を心がけ、会話の中で名前をたくさん呼ぶことです。
二つ目は、心から相手に関心を持ち、アイコンタクトして頷きながらしっかりと傾聴することです。
三つめは、相手の関心事や得意分野の話題を心がけることです」。
M氏は納得しました。「相手に優しくする(作用)と相手からも優しく返される(反作用)、とてもシンプルなんですね。今まで難しく考えていました(笑)」。
更に、M氏は私の主催するコミュニケーション心理学を受講し、みんなから頼りにされるチームリーダーに成長していったのです。
“運・鈍・根”の教えは古河グループの創業者、古河市兵衛氏の言葉です。
即ち、「一生懸命頑張っていると運が開け、つまらないことには鈍感であれ、根気よくやっていると必ず成功する」。
心理カウンセラーとして数十万人の面接、数百社の企業研修で出会った成功者達の共通点でもありました。
『運』の強い人は「自分のことをまず考えるが、他者にも配慮する」。
即ち、「自己肯定・他者肯定」の人間関係を築く人が運を引き寄せると心理学でも証明されています。
『鈍』は他人の評価をさほど気にせず、目標に向かって愚直に邁進する感性です。
『根』はものごとに耐える気力・根気・根性です。
『根』の大切さを示唆する寓話があります。
「2匹の蛙がミルクの入った壺に落ちた。一匹の蛙は『もう終わりだ』と泣き叫び溺れ死んだ。しかし、もう一匹は諦めず『根』気よく何度も足をばたつかせると、足が硬いものをとらえた。何が起きたか?ミルクがバターに変わったのだ」。
つまり“今、出来ること”に最善を尽くすことです。
私自身、不器用だが愚直さと粘り強い性格、人間大好きに育ててくれた両親に感謝です。
心理学者、アリア・クラム博士の興味深いストレス研究があります。
被験者を2つのグループに分け、ストレスに関するビデオを観させます。
Aグループには「ストレスはいいものだ。パフォーマンスと健康増進に役立ち、成長を促す」。
Bグループには「ストレスは悪いものだ。健康を害し、やる気喪失や仕事の能率を低下させる」という内容です。
その後、被験者たちは模擬面接官からすべてを否定され、ケチをつけられるなどのストレス面接を受けました。
実験終了後、唾液中のストレスホルモン(コルチゾール)を調べると、「ストレスは体にいい」と思い込んだA群より、「ストレスは体に悪い」と思い込んだB群のほうが、ストレスホルモンの数値が著しく高かったのです。
即ち、「うわぁ! 嫌だなぁ…」と考えるとストレスホルモンが分泌され、逆に「自分を成長させるいい機会だ!」と考えるとやる気ホルモンが分泌されます。
この学びから、幾多のストレス状況であっても「大丈夫! 必ず解決できる」「自己成長できる、よい学びの経験だ」と考え、先ずは肯定的自己暗示で心を静めることが肝要です。
その代表的なものが赤ちゃんの笑顔です。
まだ言葉をしゃべれない赤ちゃんの笑顔に接したお母さんは、オムツを替える苦労も、何時間置きにお乳をあげなければならない大変さも、一瞬にして忘れてしまいます。
どんな言葉よりも雄弁なそんな天使の微笑みを、人間は生まれたときから授けられています。
私は18歳の時、母との死別で抑うつ気味で笑うこともできない状態が数年続きました。
このままではいけないと気づき、笑いの環境を求めて落語、漫才などの演芸場に足しげく通いました。
また、「人間は楽しいから笑うのではない、笑ううちにだんだん楽しくなっていく」という教えで、形から入ることを学び、鏡に向かって笑う練習にいそしみ回復したのです。
一方、来談者の面接に笑いの心理技法を応用しました。
「一週間を振り返り、どんな微笑ましい面白いことがありましたか?」
「愛犬と散歩中、『何歳ですか?』と尋ねられ、『はい!24歳です』『あの~ワンちゃんのお年ですが・・?』(大笑い)」。
コロナ禍においても、「明るく・元気に・楽しく」をモットーに、さらに笑いの種を探し続けたいと思います。
ある米国の心理学者は、人間関係のもち方には大きく分けて三つのタイプがあると言っています。
「第一は、自分よりも他者を常に優先し、自分のことを後回しにするやり方(非主張行動)。
第二は、自分のことだけ考えて、他者を踏みにじるやり方(攻撃行動)。
第三は、自分のことをまず考えるが、他者も配慮するやり方(アサーション)」です。
ある家族の事例です。三人で外出し、レストランに立ち寄り、皆カツカレーを注文しました。遅いうえに、運んできたのはビーフカレーです。
①「こんなに待たせたうえにビーフカレーなんて・・・」と思うが何も言えず、仕方なく食べる(非主張)。
②「おい、いったいどうなってるんだ、カツカレーを頼んだんだぞ!しかも遅いじゃないか」と大声で怒鳴り散らす(攻撃的)。
③「自分たちはカツカレーを注文したのだから、取り替えてほしい。早くお願いしますね」と丁寧に、しかもハッキリと伝える(アサーション)。
アサーションは「自己肯定、他者肯定」の基本姿勢で、自他尊重の自己表現法です。
アサーションの実践は、私の人間関係を快適なものにしてくれています。
人生70年を振り返ると、四度や五度は大きな危機を経験したように思います。
その度に、危機管理心理学は二つの意味で大いに役立ちました。
第一に、「不安と恐怖の持続は集中力を奪う」ということです。
丹田(へそ下9㎝)に力を入れ、深い腹式呼吸で心を静めます。
第二に、不安に思っている最悪な事柄を書き出すことです。
例えば、自営業者は「失業するのか?損失はどの程度か?」など、具体的に書き出すのです。
具体的に書き出す作業で客観的になり、冷静さを取り戻します。
さらに、最悪の状態を少しでも避けるべき準備をすることで、意外と最悪の事態は起こらないものです。
かつて、30歳で独立した当初、「借入金のことや仕事は軌道に乗るだろうか」など不安なスタートでした。
最悪な事柄を書き出し、覚悟することで冷静になり、仕事に専念できたのです。
それ以来、来談者の心理面接では二つのことを強調してきました。
「まず深い腹式呼吸で心を静めましょう。そして、心配事を書き出し、具体的にひとつ一つ対策を一緒に練っていきましょうね」。
即ち、危機管理心理学の二つの要素は、普段から訓練し、習慣にすることが肝要です。
京セラの稲盛和夫氏や日本電産の永守重信氏など、多くの政財界に影響を与えた「運命を拓く」「成功哲学」などの著者であり、昭和の思想家、中村天風氏の言葉です。
20代の頃、日々の悩み相談に埋没してしまう自分に、天風哲学は心の清涼剤として大いに勇気づけられました。
特に、コミュニケーション心理学と相通じる「ことば癖」の重要性に気づかされたのです。
心理学では、行動の少なくとも90%は習慣によるものだといいます。
マイナスのことばを使ったら、即プラスのことばに言い換えることを習慣にしました。すると来談者へのアプローチも変わっていったのです。
例えば、欠点は相手のために使ったときに長所に変わります。
「私は気が小さくて臆病なんです」→「物事に慎重で軽率ではないのですね」
「私は、すごく短気なんです」→「自分の感情を素直に出せるのですね」
相手の気持ちに寄り添いながら、さり気ない「視点を変えた肯定的言い換え」は、気づきと自尊感情を高めます。
結果として、人間関係が円滑になり、自分も周りも積極的になっていくのです。
長引く新型コロナの影響で、イライラしやすくなった。ちょっとしたことが気に障って、家族とぶつかるようになった。不安で眠りが浅く、憂うつな状態が長く続いている――同じ悩みを持つ人は多いものです。
これらを克服する一つに、即効性があり感情コントロールができる呼吸法があります。通常、多くの人は自分の呼吸について無自覚です。そこで先ず、自分の呼吸に注意を向けることから始める必要があります。
イライラしている時は「イライラの呼吸」。不安を感じているときは「不安の呼吸」。緊張しているときは「緊張の呼吸」など。自分の呼吸への気づきは、「一呼吸置く」の例えのごとく、冷静さを取り戻す要因にもなります。
柔道・空手道・合氣道など、日本古来の様々な武道も心技体の修練に呼吸法を重要視してきました。特に、できるだけ長く吐く息を重視してきたのです。
十代の頃、空手の師匠に「肩の力を抜き、息をゆっくり吐いて心を調えなさい」と教わりました。それ以来、「4秒で吸って8秒で吐く腹式呼吸」を実践してきたことで、様々な困難を克服することができました。
この人生の一大テーマの指針を与えてくれたのが、米国の精神分析医エリック・バーン博士の交流分析の教えです。
バーン博士によると、人間にはどうしても必要な三種類の心理的欲求があると云っています。
一つは、五感(見る・聴く・味わう・嗅ぐ・皮膚で感じる)への適度な刺激の欲求。絵画・音楽・香りや料理・スキンシップなどを求めるのは自然なことなのです。
二つめは、他人に自分の存在を認められたいという承認欲求。私たちは、人の役に立つことをしたい、認められたいという気持ちを本能的に持っています。人は誰もが「お陰様で助かりました」「有り難う御座いました」の感謝の一言で救われることを経験するものです。
三つ目は、時間を有意義に使いたいという欲求。与えられた時間を何もせずにだらだらと過ごすだけの生活は、とてもストレスがたまるものです。現役バリバリの人が退職後、急に老け込むのは代表的な事例です。
この一年、心理学的援助者として最も憂うことは、新型コロナ禍でこの三つの欲求が阻害され、メンタルに悪影響を及ぼしている現状です。
「人間は悩み多き動物で、およそ悩み・苦しみを持っていない人はいません。
ある経営者は、自尊心が強く、弱みを見せない人でしたが、「苦労話を聞かせていただけませんか」と尋ねると、喜んで話をするようになりました。
それを感心しながら聞いているうちに、悩みや苦しみ、壁にぶつかっている所が次第ににじみ出てきたのです。「いや、私もBさんと同じ立場の時は、飯も喉を通らなかったものです」と共感しました。
すると「実はその点についてうまい方法はありませんか」と相談を持ち掛けるようになりました。それにはすぐ答えは出さず、「Bさんのことだから、色々手を打ってこられたと思いますが・・・」と促します。
その様々な苦心談の中に必ず解決のヒントが含まれており、「Bさんのやり方は立派ですよ」と肯定し、評価し、励ますことで自信を回復し、事態は好転していきました。
大切なことは、お説教やあの手この手のノウハウを色々伝えることではありません。あくまでヒントを与え、自力で答えを見出すようにリードするのが心理学的援助の秘訣です。
「国境の塞(とりで)に一人の老人(翁)が住んでいた。ある日、馬が逃げてしまい隣人が気の毒がると、老人は『まあまあ』とだけ言った。
やがて、馬が二頭の野性の馬を連れて戻ってきた。隣人が祝うと、『まあまあ』と言った。
次の日、老人の息子が野性の馬に乗り、落馬して足を骨折した。隣人が見舞うと、『まあまあ』と言った。
次の週、徴兵係の役人がやってきて若者たちを出兵させ殆どが戦死した。しかし、骨折した老人の息子は、兵役を免れ戦死しなくて済んだ(中国の故事)。
まさに「禍福はあざなえる縄のごとし」とか、「ピンチの後にチャンスあり」。
自戒の念を込めて思うことは、「チャンスの方がピンチである。ピンチのときは必死に総力戦で対応するが、チャンスの時は有頂天になり、努力しなくてピンチに陥ることもあった」。
これらの教訓から、私はカウンセリングで来談者に「新しい見方をしてごらんなさい」「もうちょっと違う考え方をしてみたら」「ほかの点を考慮に入れたら」と伝え、来談者に視点を変えさせ、柔軟な発想と今までと異なった対応を示すことを求めてきました。
私は幼い頃、事故で左耳の聴覚をなくし、劣等感を抱いていました。授業中は先生の表情や口元をよく観察していたのです。
「竹内君は集中して授業を一生懸命聞いてくれているね」。また、あるカウンセリング場面では「竹内さんは人の話を本当によく聞いて下さいますね」。
実はよく聞き取れないことで少し前かがみになり、相手の話を一生懸命聞こうとする姿勢が好感を得ていたのです。子どもの頃から劣等感がプラスに作用する感覚は、物事を両面から見る習慣になっていきました。
また、顧問先の営業マンのうち最も成績の良かったのは吃音(ドモリ)の人でした。彼は話すことの自信のなさを視覚に訴える様々な工夫を営業ツールにしていたのです。
かつて、私の営業心理学講座を受講した彼は「視覚を支配するものはセールスを支配するとの教えを実践しています」。
また、彼の内気な性格は、謙虚さと相手の身になって聴く姿勢が好感度アップにつながっていきました。
「人は、自分の話をよく聞いてくれる人に対して、とても好感を感ずる性質を例外なくもっているのです」。
心理療法の世界では生涯人は誰もが最低三回はノイローゼ(神経症)を経験すると云っています。
失意の時、あるいは壁にぶつかる時というのは「こだわり、とらわれ、かたよる」ネガティブ思考に陥っているのです。
即ち、冷静な心理状態を取り戻すには行動する必要があります。
最もシンプルな方法の一つにただひたすら無心に歩く。
「動禅」(行動なくして解決する悩みや課題などはひとつもない)と云う禅の教えでもあります。
ある若い経営者は税務署が入り、その後落ち込み悶々としていました。
そこで私は「とにかく一日一時間ほど歩きなさい」とアドバイス。
一週間ほどですっかり元気になり、それがきっかけで色々な山歩きを楽しんでいるとのこと。
私は週末の過ごし方のアドバイスを「頭を使う日が多かったら体を使い」「体を使う日が多かったら読書など頭を使いなさい」と心身バランスの法則を提唱しています。
私自身も原稿など書くことが多かった週は、庭園巡りなど歩くことを大いに楽しんでいます。
あなたは二人の人から同じ言葉を聞いたとき、どのように受け取るでしょうか?
たとえば、Aさんから注意された時は反省して改めようとしたが、Bさんからの注意は逆に腹が立って反発したなどの経験はありませんか?
米国の哲学者エマーソンは「人は聞こうとするものしか聞かない」と言いました。
まずは相手にどうしたら聞く耳を持ってもらえるかを工夫する必要があるのです。
即ち、人は自分が好意を持っている人、信頼できる人、尊敬できる人の話しは聞くという心理法則があります。
ある会社のリーダーが「唯一反発するスタッフを何とかしたい」との相談がありました。
じっくりお聴きした後、
「スタッフの良い点を5つ教えて頂けませんか?
これからも職場で良い点をタイミング良く指摘して下さい。
ただし、馴染むまで徹底的に実践して下さい」。
徐々に信頼関係も深まり、職場の雰囲気も明るくなったとの報告。
コミュニケーション心理学では肯定的な側面に働きかけることで信頼関係が深まると説いています。
中学二年の古文(従然草:兼好法師)のフレーズだと記憶しています。
かつて、人々が村や集落単位で共同生活していた頃、若者を初めとした色々な人の悩みや相談を、受けてくれる人がいました。
それは、人生経験も豊富で若者の幼さや未熟さを受け入れることのできる老人が多かったのです。
現に隠居生活していた祖父は訪ねてきた様々な人とお茶を飲みながら時間をかけてゆっくり聴くことで、相手に元気を与えていました。
「聴いてもらえた」という満足感や「すっきりした」という解放感で足取り軽く帰って行った人達のことを記憶しています。
この原風景が私を心理学への道に導いてくれました。
人は「話す」ことで成長し答えを自分で見つけていきます。
それを知っている聴き手が良きカウンセラーです。
また、相手を動かし育てるには、「説得する」ことではなく、「受け入れて聴く力」がカウンセラーには必要不可欠でもあり、様々な心理技法の原点でもあります。
コロナ禍における心のケアが大切と言われている今、「話す」ことはまさに心の便秘を解消する、最良の良薬です。
ストレッチング(伸ばす)、ストレッチ体操(ほぐす)という馴染み深い言葉がありますが、それに対しギャザリング(縮まる)という言葉もあります。
私たちの生活のなかでは、スマホを操作しているうちに背中や首が曲がる。
嫌なことがあってしかめ面をする。
不安にかられて奥歯に力を入れ、眉間にシワを寄せる。
これらはどれもギャザリングです。
つまり、私たちは普段、気づかないうちにギャザリング状態になっています。
意識してストレッチングの状態を導く必要があります。
また、慢性的ギャザリング(筋肉の収縮)は呼吸が浅くなることで免疫の低下と血圧の上昇など循環器系統にも悪影響を及ぼすことは心身医学でも証明されています。
ストレッチ体操で体をほぐし、口角を上げ笑顔をつくり、にこやかな表情をすることでドーパミンという幸せホルモンが分泌されます。
まさに、「笑う門には福来る」なのです。
冬は圧倒的にギャザリング状態なので、こまめにストレッチ体操をしてコロナ禍を快適に過ごしたいと思います。
「文章を書く」、人生の節目は様々な問題が発生します。
問題をじっくり考えて紙に書き出し、優先順位をつけ、最も大切なものから三つずつ解決していくことで大きく改善されます。
特に、人間関係で困っているときは、何が問題なのかを書き出すことで明確になっていくのです。
「汗をかく」、体験学習です。
人はノイローゼ気味になると、なかなか行動しません。
それでも一歩踏み出す勇気ある行動で克服されるのです。
「思ったら行う」を日頃から習慣にしたいものです。
まさに、心と体は分離したものではなく“心身一如”なのです。
「恥をかく勇気」、先日、地下街を歩いていたら「先生、お久しぶりです」と数十年前、対人恐怖と吃音(ドモリ)で相談に来られた男性に話しかけられました。
とてもスムーズな喋りに驚き、理由をお聞きしたら
「ドモルことは恥ずかしいが、ドモルことから逃げる方がはるかに恥ずべきことです。
勇気をもって恥をかくつもりで堂々とドモリなさい。との教えを実践したお陰で克服できました」。
近年、コロナうつ、離婚、自殺者などのニュースが多くなっています。
私の孫娘も4月から東京の大学に入学したものの自宅リモート学習をすることになりました。
2ケ月が過ぎ6月頃、理由もなく涙があふれたり、憂うつになったりと情緒不安になったとのこと。
ある時「これは成長するための試練だ、今、与えられた状況の中で、クヨクヨするより、工夫せよ」との思いに至ったそうです。
そして、3つの心がけを実践しました。
①毎日適度に太陽の光を浴びる
②毎日適度に体をリズミカルに動かす
③タンパク質やビタミン不足にならないように適切な食生活を送る
その結果、気分転換ができ、便秘や肌荒れの解消などでコロナ禍以前より体調が良くなり、履修も滞りなく終了したそうです。
特に私が驚いたのは、栄養士なみの詳しい食事療法の知識と料理を覚えたとの報告でした。
半年の試練を乗り越え、今では、東京生活を楽しんでいるとの電話。
まさに「禍を転じて福となす」。
私も改めて肝に銘じたいと思います。
ある企業が従業員に取ったアンケートがあります。
その質問は「あなたは、どんなときにやる気を起こしますか?」。
・自分が褒められたとき
・達成感があったとき
・自分のしたことを誰かに喜んでもらったとき。
こうした答えが多く返ってきたのです。
人は、自分一人では生きていけません。
「自分が周囲の人のために役立っている」と感じたとき、やる気を起こす最高の状態になるという裏づけです。
これは家庭・学校・職場などあらゆる組織にもいえることなのです。
実は、「働く」という言葉には色々な意味があります。
なかには、「ハタ(周囲の人)を楽にする」から「ハタ楽」という理解もあります。
この言葉も、「周囲の人が喜んでくれることが最高の幸せ」という心の特性をうまく表現しています。
かつて、来日の折、聴講したマザー・テレサの言葉に
「この世で最も悲しいことは、貧しいことや病気や飢えで死ぬことではありません。
誰からも相手にされないで、自分が要らない人間だと思い込んでしまうことです」。
かつて、三十代の男性は、自分の産みの親が東京にいることを知り、会いに行った。
やっと実母に会えたが「おばさんという感じしかしなかった。しかし、心の区切りができた」と述懐していました。
産みの親より育ての親というのはなぜか、それは共有した時間の質と量なのです。
時間の共有とは、物理的にある時間を共に過ごすということです。
私の田舎では、「冠婚葬祭」は勿論のこと、「お正月七日の鬼火焼き」や「豆まき」。「七夕まつり」、春・秋の「神社のお祭り(獅子舞)」など、さまざまな年中行事がきちんと行われていました。
老若男女、問わず多くの人との共有時間の体験が、対人能力と社会性を育ませていくのです。
また、「共有時間」を応用した、企業の合宿研修があります。
合宿には三同効果があり、「同じ屋根の下で一緒に寝泊りして」「同じ釜の飯を食い」「同じ事柄を真剣に話し合う」。
この三同効果は、意思統一・団結・チームワークが如実に向上していきます。
今、コロナ禍であっても様々な分野でも共有時間の工夫が大切だと思います。
その地域特有のソウルフードがあるように、ソウルワード(魂を揺り動かす一言 )もあります。
幼い頃、母親のささやき “のさり”は、私の勇気と思いやりを育ませてくれた原点です。
“のさり”の意味は、「お年玉をたくさんのさった」、「良い先生にのさった」、「良い仕事にのさった」、「命(腎臓移植)をのさった」など思いがけない幸運に恵まれることなどです。
一方、嫁・姑の関係など苦しい時や、家族・自分自身の不幸を「私ののさり」など、思い通りにならない現実、変えられない現実を受容する“のさり”もあります。
例えば障がい児が生まれた家族の“のさり”は様々な葛藤がありますが、夫や祖父母が「この子は我が家の“のさり(授かり)”だ」と明るく表現することがあります。
障がい児を生んだことに責任を感じていた母親が、自分をゆるし癒されていくのです。
人生の中で遭遇する困難な問題に対し、自分がどのように柔軟な態度や行動をとるのか、大きな指針になりました。
また、“のさり”を使用する天草の文化に感謝です。
解決のために何ができるかを考えるとエネルギーの拡大につながります。
しかし、面倒くさい、できそうもないなどとつぶやくクセのある人は、エネルギーの縮小につながります。
その結果、自分のなかの素晴らしい能力に気づかないまま人生を送ることになるのです。
言語心理学でも「できない」と「できる」の言葉グセの研究があります。
それがいかに生きるかを決定するからです。
しかし、「できない」「だめだ」「仕方がない」などの言葉グセの人は “できない症候群”にみまわれます。
その最善の克服方法は、意識して否定的な言葉を肯定的に言い換えることを身に付くまで実践することです。
私自身、困難に遭遇した時「私はできる」「ピンチはチャンスだ」「必ず解決策はある」などの言葉グセで様々な試練を乗り越えることができました。
また、長年実践していることは眠る前のゴールデンタイム(金に値す時間)の活用です。
楽しいイメージと共に感謝の言葉をつぶやきながら入眠することで、朝の目覚めが快適になります。
産業カウンセラーとして40数年、数百社の研修や会社訪問をしてきました。
どの会社も隅々まで掃除が行き届いていることにいつも感心しました。
事実、掃除の習慣が身に付いていない国々へ進出するトヨタなどの日本メーカーは、最初に「掃除のやり方」を指導するそうです。
それほど海外の工場は汚く乱雑なのです。
逆に言えば世界が感嘆する「日本品質」の原点は、掃除と整理整頓にあると思います。
素晴らしい経営者は“5S”を徹底しています。
「整理・整頓(能率の基礎)」、「清掃・清潔(品質の基礎)」、「しつけ(あいさつ・敬語・電話応対など人間関係の基本)」です。
また、学校では自分の教室を生徒が掃除するのは日本ではごく当り前です。
神社で参拝する前に手水で清める日本文化は、古代に感染症がきっかけとの説があります。
それが現代人の手洗い励行に受け継がれたと思われます。
日本人の清潔好きが、感染症を低く抑えられているのは当然です。
これからも生活リズムを整えながら対応して行きたいと思います。
「赤ん坊がなだめようもないほど泣いている。理由が見つからないうちに世話をしていた乳母は大変うがった見方をする。遺伝まで引き合いに出して『もうお父さんにそっくりだ』。色々となだめているうちに、乳母はピンを見つけた。泣いていたのは、泣き虫が遺伝したからではなくピンの痛さがいっさいの原因だったのだ(アラン:仏の哲学者)」。
誰もが「ハッ!」とさせられる奥の深い例え話です。
アランは、今起きている目の前のことを直視し、本当の原因を捜しなさい。
あるいは相手が何を求めているのか「相手の身になって」考えなさいという教訓なのです。
私自身も互いのコミュニケーションが取れていない時こそピン(急所・ツボ)を見つけることが難しいということを数多く経験しました。
かつて、私自身が社会人一年生で最も心掛けたことは二つでした。
一つは、仕事の専門技術を徹底的に高めること。
もう一つは、コミュニケーション能力の向上です。
この二つは私の人生を有意義なものにしてくれました。
心理カウンセラーとして四十数年、この言葉に勇気づけられてきました。
時間の不思議さの一つの側面は、集中することにより時間の密度が拡大します。
私たち凡人が多くの時間を費やしてやっとできることを、ごく短時間のうちに実現することができるのは奇跡的なことです。
集中力の偉大さはここにあります。
ナポレオンが「急ぎの仕事は忙しい人にやらせろ」と言ったのも、忙しい人は集中力によって、時間を生み出し、さっとやってのけることをよく知っていたからです。
事実、知人の女性に仕事のことを依頼すると、ものの見事に手際よく正確に早くやり遂げてしまうことにいつも驚かされます。
氏いわく「仕事は、段取り八割で一事徹底ですから…」。
一方、仕事の遅い人は色々なことに手を出してなかなか進まないものです。
ゲーテの言葉に「人は多くを願うが、必要なものはごくわずかなものである。人生は短く、人間の運命には限りがある」。
新型コロナで浮足立っている今こそ、この言葉を肝に銘じたいと思います。
米国の心理療法家から教わりました。
日本では、どうしても知識を先生が伝達し、それを生徒が覚えるという学習スタイルです。
一方、米国の多くの学校では、学習の三大要素の言葉が教室の壁に貼ってあるそうです。
体験して身に付けることが、生きる力につながっていくのです。
米国の研究によると記憶に残る割合は、体験したとき(疑似体験や実体験)、80%だそうです。
かつて、米国での研修では、カウンセラー役、来談者役の交互の体験学習を経験しました。
その結果、カウンセリング技術が著しく向上したことを記憶しています。
私のなかに、「人間は経験を積むために生まれてきた」という信念がありますが、経験を少しずつ積むことによって能力が上がっていく。
その能力はさらに大きな自信を生む。
いろんなことに挑戦し、体験して得た知識や、自分でやったという自信、それらはとても大きなものになりました。
体験主義の原点は、「若い時の苦労は買ってでもしなさい」との親の教えだったと思います。
私自身幼少期から感受性が強く、病弱な母が死ぬのではとの不安から、漠然とした死についての強迫観念にとらわれていきました。
小学4年生、従兄の自死を目撃したことでさらに増幅されたのです。
高校生になり心理学、精神医学、脳の働きなど手あたり次第読みあさり、「精神・心の指令センターは脳にあり」と確信しました。
脳の働きがつくり出す、不安、恐れ、こだわりは単なる実体のない枯草と同様で、枯草を幽霊のごとくオーバーに錯覚していた自分に気づいたのです。
「こだわりのメカニズム」の解明は、目から鱗が落ちる思いでした。
次の目標は、何事にも動じない心(平常心)を身に付けることでした。
そこで、自己催眠を実践し、深いくつろぎの中で “私は自分を信じて冷静に行動できる” と自己暗示を唱え、自信回復していったのを記憶しています。
困難な状況に遭遇すると今でも“深いくつろぎ”に入り、問題解決のより良いヒントを模索しています。
自分の潜在能力を高める、自己コントロール技法は絶大です。
私のところに相談にみえる方のなかには、営業マンの方が少なくありません。
当初は体調がどうもすぐれないといった訴えをする方が多いのです。
よくお話をうかがってみると、本音と建前の狭間で上手な断り方が不得手な八方美人タイプの方がほとんどです。
当センターでコミュニケーション心理学を学んだある営業マンは、取引先からゴルフの誘いが重なったのをこんな具合に対応しました。
「お誘いありがとうございます。あいにく予定が入っているのですが、先方さんにもお伺いして、こちらにうかがえるように努力させていただきます。
ただ、どうしても難しい場合は、ご容赦下さい。それでいつまでにご返事を差し上げればよろしいでしょうか」。
誘いに対して、ワンクッション置くことで、受け入れられるようにしばらく努力してみるという姿勢を示すことです。
「先約があったのか、それは仕方がない」という思いを相手は持つはずです。
あらゆる分野で応用できる、大人の心理対話術は人生を逞しく生きる智恵です。
「あのひと言で心が冷えた。心が傷ついた。やる気が失せた」ということもあれば、
「あのひと言で心が温まった。癒された。やる気になった」ということは誰もが経験するものです。
しかし、人はもの心がついた時から意識せずに話すことから言葉の重要性を考えることはありません。
かつて、私もそうでした。
特に意識するようになったのは、言語学者、メーラビアンの研究を教育心理学で学んだことがきっかけです。
それによると、全体の会話は、三要素で構成しているとの研究です。
言葉の「内容」というのは7%。
次に「口調、イントネーション」が38%。
そして、それ以外の55%は「態度、表情、目線、しぐさ」など、非言語的と言われるものです。
人と会話した数か月後、相手の印象を想い出してみると、会話の「内容」はうろ覚えであるが、
「口調」などは耳に残っています。
特に印象に残るのがその人の「態度、表情」などの雰囲気です。
この学びから、言葉選びと同時に笑顔や謙虚な態度を心掛けるようになりました。
「ある村で伝統の村祭りがあり、村の衆がそれぞれ徳利に酒を持ち寄り、酒盛をすることになった。
弥助は、『大勢だから自分一人くらい水を入れてもわからないだろう』と涼しい顔で、大きな釜に徳利の水を入れた。
ところが、他の村の衆もみんな、何喰わぬ顔で水を入れた。
満杯になった釜を熱燗にして、やがて酒盛が始まった。
『まさか、自分と同じことをみんなが考えていたとは……』。
酒ではなく、お湯でみんなの顔が赤くなり、伝統の村祭りは台無しになったという」。
少年期、この教訓のお陰で綱引き大会の時、力の限り綱引きをした記憶があります。
集団になればなるほど「ほかの人が何とかしてくれるだろう」という心理が働いてしまうのです。
強い集団を作るためには、ひとり一人が本気で取り組む組織作りが重要なのです。
「ワン・チーム」を標榜する、今の日本代表ラグビーの強さにも相通じるものを感じます。
私は企業教育研修などの導入にこの民話を問題提起することもあります。
私たちは、今、かつてない特徴をもった新たな依存問題に直面しています。
厚労省の調査では「ゲーム依存症」の中高生は100万人に迫り、社会問題とのレポートがあります。
ネットやゲームをする子どもが全て依存症になるわけではありません。
単なるやり過ぎと依存症の違いは、自分で制御できるかに加え、心身の健康悪化、遅刻や不登校、家庭内暴力などの問題が起きていないかで判断します。
「初めの頃は、叱るということを聞いていたが、最近では私のことを『クソババ』と言ったりします。
ゲームで人格まで変わってしまったのでしょうか?」等、様々な相談がありました。
私は家族療法家の立場から六つの指導方針を提唱します。
① 安易に取引しない。
② 一貫した毅然とした態度。
③ 一喜一憂しすぎない。
④ 一人で判断しない。
⑤ 家族で同じ対応を目指す。
⑥ 家族の在り方を気づかしてくれた学びの機会、「ピンチはチャンス」の発想を。
かつて、若くして両親を亡くされた人から「法事をなぜ勤めるのか?」、相談されたことがあります。
私は兄の受け売りを次のように話しました。
「法事の意味を知ることが大事です。それには二つあります。
一つは亡き人を偲びつつ、もう一つは今現にこうして命を頂いていることを確かめることです。
子どものない人はいても親のない人は一人もいないのです。
命は必ず親をはじめとして多くの人々から綿々と繋がっています。
そして、今生きていること自体、多くの人の御蔭によっているのです。
命を生かされていることに気づく大切な時を亡き人から頂いているのです。
だから、法事を勤めること自体が尊いのです」。
法事の意味は85歳になる曹洞宗の住職でもある兄が法事のたびに繰り返し教えてくれました。
因みに小学4年で出家した兄の生きざまは私の人生の指針でもあります。
また、心理学の親は哲学、哲学の親は宗教です。
先人たちの叡智も綿々と受け継がれていることに感謝です。
「『ジョン、おまえはなんだ。客はみんなおまえを酔わせて面白がっているのだ。負けてはならないぞ。おまえは酔ってない。少しも酔っていない。りっぱに酔いは醒めているのだ。今日はおまえがプレゼンする重要な主役だぞ。酔ってはならないんだ』。
洗面所の鏡に映る自分の目をじっとにらみながら、ことばを繰り返すと、みるみるうちに酔いが醒めていったのです。
わずか5分のできごとです。
食事の終わりに彼は、画期的な新計画を、一枚の絵を見せるように鮮やかに説明し、いならぶ人びとに深い感銘を与えたのだと観察者、ブリストルは記述しています。
《信念の魔術:C・M・ブリストル著》》。
これをヒントに、当心理センターの玄関は大きな鏡張りにしました。
本の出会いから48年、鏡の自己暗示法は生活の一部になりました。
また、手鏡の活用で、子育てのお母さんには微笑みや表情訓練など自己強化法の指導で大変喜ばれてきました。
「空のF-1」とも呼ばれる「エアレース」で、世界の一流パイロットが集まるレースツァーで、年間チャンピオンに輝いた室谷義秀選手がいます。
こんな趣旨のコメントをしています。
「自分でコントロール出来ることしか関心がない。レースに有利な風が吹いてほしいなどと思っても、それはコントロールできない。自分はコントロールできる操縦の技術にしか関心がない、そこに集中している」。
メジャーリーグで活躍したイチロー選手も引退会見でほとんど同じことを語っていました。
「思いどおりにならないことまで『どうにかしたい』と考えるのは、無茶なのです」。
かつて、私自身も米国で心理療法を学んだお陰で「いま・ここ」に生きる自分と向き合うことで楽になりました。
すなわち「自分が変わるしかない」と肚が決まった瞬間でした。
一方で「わかっちゃいるけど、やめられない」の煩悩も感じつつ、その狭間を楽しんでいる自分にも気づいています。
「体調がすぐれない。不安になったり、無気力になったりする」。
年度替わりの4月から5月にかけて、悩む人は多いものです。
大学の新入生や新人社員は環境の変化、新たな人間関係から自律神経に変調をきたします。
こうした相談には、心身のメカニズムを正しく理解して頂くことが効果的です。
寒い冬の間は交感神経、つまり「緊張する神経」が強くなります。
春から夏にかけて暖かくなってくると副交感神経、「くつろぐ神経」が活発になるという身体のメカニズムがあるのです。
すなわち、自律神経は大自然のサイクルと同調しているのです。
ある新入社員はカウンセリング後、こう話していました。
「朝6時に起き、カーテンを開け朝日を浴びています。その後、腹式呼吸と自律神経調整訓練を実践しています」。
今では体調が回復したとの報告でした。
朝日を浴びることは、セロトニンの分泌を促し、精神安定とやる気を起こす、体内に備わっている特効薬です。
「自分とは自然の一部分」との再認識が重要です。
姉からの命の贈りもの、4月24日で満4歳になりました。
現在も定期検診と免疫抑制剤の服用は欠かすことはできませんが、日常生活は快適です。
当時、主治医から「1年後、血液透析を覚悟して下さい」と言われました。
即、1週間の教育入院で腎不全を徹底的に学び、「自分の主治医は自分である」の覚悟ができました。
その後、食事療法を支えてくれたスタッフのお陰で、10年間透析することもなく移植に移行できたことは幸いでした。
また、2ヶ月間の入院中、毎日来てくれた長男から「叔母さんへの感謝と共に、63年間よく働いてくれた自分の腎臓にもお陰と感謝だよ」との言葉。
目からウロコの一言でした。
スポットライトに照らされている人は、多くの人たちの「お陰さま」のフレーズを数えきれないくらい言ってきたことが腑に落ちる瞬間でした。
この4年間、「大病から学ぶこと大なり、真に大切な人を知るなり」の教えをかみしめながら邁進してきたように思います。
新元号『令和』に記す。
先日、「希望の高校に合格しました。あの頃から内申点が12もアップしましたよ。私すごくないですか」と弾む声の電話でした。
有数の進学校の合格よりも、「私すごくないですか」と自信に満ちた声に感動しました。
2年前は自信喪失状態でした。当時、彼女の口から「私ダメだから」「めんどくさい」という言葉が頻繁に出ていました。
そこで口に出して言うだけでなく、心の中でも思ってはいけないこと。そして、予習は必ずして授業に臨むこと、この二つを提案しました。
「これらの約束が守れるならいらっしゃいね」。
人はわずかなレベルであっても選択権が与えられると、自尊心が少しは満たされ、人の言うことに耳を傾けるようになります。自分は信頼されているという感覚が生じるのです。
また、眠る前に「私は日に日にあらゆる面で良くなっていく。私は今、頑張る」の自己暗示法も指導しました。
すると部活の苦しい時も「今、頑張る」が思い出され、良い成績を残し、自信がついたそうです。
かつて、私が企業の就職面接で心がけた質問のひとつでした。
企業の就職面接では、学力だけではなく、スポーツの経歴や趣味についての質問が増えています。
画一化された学業より、スポーツや趣味のほうが感性向上には有効だとの判断からでしょう。
もうひとつ、大切なのは好奇心から生じる遊び心です。
自分が身を置いている分野だけにとどまることなく、さまざまな分野の人と交流を持ち、考え方、見方、あるいは情報を仕入れる。そこに視野の広がりが社会人として、仕事の面白しさや工夫に繋がっていくのです。
また、幼少の頃しっかり遊び、感動体験は社会人としてもたくましく生き抜く条件だとも実感します。それは幼なじみの同窓会で感じることと一致します。男女ともそれぞれの分野でたくましく活躍していることにいつも驚かされます。
天草の地で野を駆け、山を駆け、海で泳ぎ、大自然とたわむれたお陰だと思います。
幼少時の「よく遊び、よく学べ」とは大脳生理学でもたくましさの条件だと証明されています。
心の垢には気づかず、ゆえに心の洗い方を、ほとんどの人が知らないことを示唆した古歌です。
かつて、20代の頃の心を覗くと、等身大の自分を受け入れられず、劣等感をいだき、その反動で少しでも他人によく見せようと虚勢を張るなど、様々な葛藤を抱え込んでいました。
ちょうどその頃、人間性回復のメッカと称される米国のエサレン心理研究所を訪れたのです。前に太平洋を一望し、後ろに森林地帯を背負い、海岸に沿った絶壁の上に位置していました。まさに「太陽と森と海」を絵に描いたような癒しの空間でした。
様々な心理プログラムのなかで特に瞑想体験は、心の浄化につながったことを記憶しています。科学進歩がめざましく、変化の激しい情報過多の近年、外界にのみ目を、心を、奪われていた自分に気がついたのです。
長息呼吸を主とする瞑想法は、心の垢を洗う有効なメソッドとなりました。「たまには坐れ、それが心の古里である」、禅の教えにも通じると感じました。
30歳の頃、米国でさまざまな心理療法の訓練を積み重ねてきましたが、なかでも印象深かったのがセミナーの最後「死の準備トレーニング」でした。
そのなかの一つに「自分の弔辞」を書くことがありました。自分が死ぬときを想定し、誰にどんな弔辞を読んでほしいかを考えるのです。「自分は72歳でこの世を去って、長男が自分への感謝や褒め言葉をたくさん読み上げてくれる」。ひと晩中考え抜き、私はこんな内容を考えました。
自分の弔辞を考えることは、「自分がどのような死に方をしたいのか?」を考えることです。こうして「自分の死に方」を掘り下げていくと、「どう生きたいのか?」という命題に突き当たります。
「より良い死に方」というのは結局、「より良い生き方」につながっていくのです。自分で自分を褒め称える弔辞を書いたことで、「一日一日の大切さ」を再認識しました。現在もそのときの気持ちを忘れないように過ごしています。
私自身が20歳の頃「何をやってもうまくいかない、外部と適応できない」との思いで鬱々としていました。
そこで夏休みを利用して、京都の禅寺で坐禅を体験したことがあります。
また、禅師から「たまには坐れ、それが心の故郷である」。「照顧脚下(玄関で靴の脱履には足元に気をつけなさい)」。凡事徹底に通じる教えです。
子どもの頃から落ち着きのない私にとって腑に落ちる体験でした。
自分の中味、内容がしっかりしていないと何をやってもうまくいかないばかりか外部と適応できないことに気づきました。
中味は、自分の人格。内容は、自分の才能です。
人格は心、才能は頭なのです。禅宗では頭の働きは智恵、心の働きは慈悲(いつくしみ)の教えです。
中味の充実した人間とは智恵とやさしさを兼ね備わった人なのです。
この二つを人生目標にしてきましたが、ややもすれば情報過多や混沌とした生活のなかで、ぶれる自分を意識しながら軌道修正する毎日です。
人間という言葉ですが、これを人ではなく、「人間」と表す、つまり「間」という字がついています。
ある高僧にうかがったところ、「間」は「めぐり合わせ」または「結び合わせ」を意味しているそうです。
人にとってこのめぐりあわせがいかに大切かということを、説かれました。
「めぐり合わせ」を仏教では「縁」といいます。
私たちは、いつか、どこかで「不思議なご縁」という言葉を学んでいます。
ところで、不思議とは数字の単位ですが「不可思議」を縮めたもので、10の64乗という巨大な大きさを意味します。
つまり不思議なご縁という場合は、不思議分の一と考えるべきでしょう。
10の64乗分の一は途方もない小さな数字で、限りなく0に近くなり、めったにない有り難いご縁ということになります。
私は新入社員研修でこのことを話題にした後、「全国に約400万もある会社の一つで、人間関係(縁)を結ぶことになったのですよ。まことに稀有(けう)な素晴らしいことですよ」。
「会社との貴重なご縁」を動機づけにしています。
産業心理カウンセラーとして、企業のリーダーシップ研修に長年携わり実感したことです。
決断力の乏しいトップをいただく会社が、いかにみじめな末路をたどることを数えきれないほど見てきました。
例えば業績悪化が危機的レベルにも拘わらず何の決断もしない経営者などです。
「茹でガエルになるな」の教えにも通じます。
「2匹のカエルを用意し、一方は熱湯に入れ、もう一方は緩やかに昇温する冷水に入れる。すると、前者は直ちに飛び跳ね脱出・生存するのに対し、後者は水温の上昇を知覚できずに死亡する」。
勿論、決断の前に判断の正しさが求められることになります。
40数年間、たくさんの成功者と接してきましたが、一つの共通点を見つけました。
成功者といわれるようになった転換期は、失敗の理由、うまく思い通りに運べなかった責任を、自分以外に求めなかったことが成功への転機だと言うことです。
「危機感と責任感は、名将の判断力を活発にする」の教えを肝に銘じたいと思います。
「最初の死は、医学的に死亡診断書を書かれたとき。でも、死者を覚えている人がいる限り、その人の心の中で生き続けている。最後の死は、死者を覚えている人が誰もいなくなったとき」。
勿論、人それぞれ死生観は違いますが私にとっては、うなずける考え方です。
同様に私の二人の子どもには、お盆、お彼岸、法事等出来る限り一緒にお参りさせました。
そのことで死について考えさせ、死者について話をするようにしました。
それが、死を受け入れるトレーニングになるからです。
その原点は、私自身、もの心ついた頃から母親にお盆やお彼岸などでは菩提寺によく参拝させられました。
また、仏壇にご飯をお供えして、朝晩お参りする習慣でした。
そのお陰で死は「特別のものではない」と思えるようになったのです。
しかし、近い人が亡くなることは辛く悲しいことですが永氏の「大往生」を読み返すたびに少しずつ癒されるのを実感します。
「現状に自己満足して自己の成長の意欲を失った人は、材木的人間である」を戒めとしてきました。
40数年前の本を読み返してみると当時の思いがぎっしりと書いてあり、新鮮な再発見があります。
「人間を知るためには、まず自己を知らなければならない」。
つまり人間洞察は自己洞察から始めるべきで、そして他人への理解を深めていくことなど。
その為に様々な体験学習による気づきを大切にしてきました。
一方、読書においては“楽しむ読書”“調べる読書”“考える読書”の三つを心掛けました。
一番“こやし”になっているのは考える読書ですが、しかし仕事が忙しくなるにつれ、それらは削られ、反比例して調べる読書の比重が増えていきました。
考える読書をおろそかにすることで、頭でっかちの薄っぺらな自分に気づき落ち込み、軌道修正の連続だったように思えます。
今は、20代の頃読んだ本をじっくり読み返す“考える読書”が楽しみの一つになりました。
カウンセリング歴45年で実感することです。
逆に心が不健康になると人の話が聞けなくなります。
かつて、ある経営者はどの社員にも分け隔てなく人の話をよく聴く有能な方でした。しかし、家族の不幸や資金繰りなど様々な要因が重なり、うつ症状で相談に来られました。
「以前はこんな主人ではなかったので理解できません」との奥様の気持ちに寄り添いながら次のような説明をしました。
「人は誰でも病気、ケガ、或いは不安、悩みを持つとまるで子供のように振る舞うことがあります。特徴として
①自己中心的(わがまま)
②かまってほしい(時間泥棒)
③思考が狭くなる(意識の狭窄)
④甘えの増大(スキンシップ等を求める)などの傾向があります」
理解された奥様はゆとりを持って接することが出来るようになられました。
本人にはリラクセーションを中心とした、心理技法を駆使した結果、以前のように笑顔と人の話を聴ける人に回復されたのです。
具体的には偏見をもたない、先入観にとらわれないといったことです。
しかし、人は悪意がなくても、偏見をもっているものです。
人は見かけによらぬもの、第一印象はアテにならないものです。
私もこんなことを書きながら、しばしば人の外見にだまされ、第一印象が間違っていて、大いに反省させられることが多々ありました。
かつて、米国の心理療法家にこんなことを教わりました。
「もし虫が好かん、肌が合わない、毛嫌いする人がいたら、その人をよく観察してごらんなさい、あなたにとてもよく似ている部分があるはずですよ」。
その時は反発しましたが、よくよく考えるとその通りです。自分の悪いところ、醜いところがそっくりで、鏡を見ているようなものだと思いました。
このことに気づいてから、ありのままの話が聴けるようになりました。
人の話はゆとりを持って聴くと興味深く面白いものです。聴き上手の秘訣は「習うより慣れよ」の場数なのです。
エマーソンの教えです。真の教育は現場での習得にあることを知らなければなりません。経験して初めて腑に落ちることが多々あるのです。
しかし、折角の素晴らしい経験を阻む要因は、「面倒だ、後でやろう、難しそうだ」などとできない理由を口癖にしている人達なのです。
私は「思ったら行う」を座右の銘として日々実践してきました。また、20代の頃、守部昭夫師匠からは「現場に行って、現物を手にして、現状を認識する、三現主義を貫きなさい」との教えを受けました。
同様に企業内教育の99%がOJT(現場教育)です。仕事をしながら、仕事を通じて、現場で、上司先輩により、日常不断に、意識的、無意識的にも行われる教育訓練です。
私は新入社員研修では、社会人として身につける三つのスキルの大枠を話した後、「テクニカル・スキル(仕事の専門性)の向上に一心不乱に専念することが肝要です」と強調しています。
私自身も「問題解決のヒントは現場にある」との教えが今日の自分を創ったのだと感謝しています。
40年前、岩崎孝治著「企画力の育て方」の一節は目から鱗で今も色あせることがありません。勿論、あの童話にでてくる桃太郎の話です。そこで「イヌ、サル、キジという三匹の動物とは、いったい、なにを意味しているだろうか」という問題提起です。
田辺昇一氏によると、この三匹の動物というのは、キジ「情報力」の機能、サル「企画力」の機能、イヌ「行動力」の機能の三位一体をあらわしていると言っています。
“桃太郎の鬼退治”作戦のトップ・バッターはキジでした。「鬼が島の鬼を征伐する」プロジェクトを遂行するには、まず島の状況を正確にとらえなければなりません。「鬼が島は、どんな地形で、どんな鬼がどれくらい住んでいるのか」といった情報を手に入れる必要があったのです。
こうしてみると、ビジネスには質の高い「キジの情報機能」が決め手になることは昔も今も不変の真理です。
これからも『桃太郎式リーダーシップ心理学』を実践し続けたいと思います。
マルティン・ルター(神学者)のことばです。
誰でも死を恐れます。しかし、死は生の終わりではなく、人生の完成であるとの思いを妻の終活から再認識しました。また、「すべての人は自分の人生の初期においてより多くの未完成の欲求をもっている。その未完成の欲求で一番多いのは両親に対する愛情欲求である」とゲシュタルト心理療法家のパールズ博士は言っています。
妻は、医師と教師の両親のもと、複雑な大家族のなかで愛されたとの実感がなく、葛藤の多い人生になりました。「三つ子の魂、百までも」の通り、人生早期の体験は潜在意識に強くとどまるのです。「許すこと。愛すること」が人生の二大テーマとなったのは必然でした。
晩年、書き記した日記に「心を綺麗にすることだけに専念しなさい。神様の喜ぶことを積極的にしなさい。愛しなさい。憎しみからは何も生まれないのだから、許しなさい」。
この一節は、生涯の完成を迎えた証なのだとの思いに至りました。
「人生の時計は、一度しかネジを巻かない。その時計がいつ止まるか、遅れるか、それとも、もっと早くか、誰も知らない。今だけがあなたの時間だ。生きよ、愛せよ、心をつくして働け。明日があると思ってはならない。何故なら、その時、人生の時計は、止まっているかもしれないから」。
山田俊夫氏の詩は、昨年、妻を亡くした私にとって、喪失感からの応援歌になりました。
亡くなる10日前に「私は、自由に好きなように生きたからもういいわ」。
2日前は「お葬式の用意は済んだの?」。
5時間前は、左手を振り「さようなら」と言って別れを告げたのです。
人前では常に明るく強気を貫いた生涯でした。この世に未練を残しつつ、さわやかに旅立ったことにリスペクトしたいと思います。
今朝も私の人生の時計は動いています。この瞬間、生きられることを感謝しつつ、今を大切に生きることが供養だとの思いに至りました。
私は人様の前で話をする職業につき、連日何時間も、メモもなしで話せるようになりましが、昔はアガリ、緊張症でうまく話せるとは思いませんでした。
今の私は、昔からするとまるで違った人間になったようにさえ思います。
かつて、20代前半にパーソナリティセンターに所属していた経験があります。そのセンターでは寺子屋のようなさまざまな心理学セミナーを企画と運営をしていましたので後ろの席で先生方の話をさんざん聞いたのです。そのうちに、話のうまさとはどこにあるのか、話の個性とはどうして生まれるのか、少しずつわかってきたのです。
実は経営者の集いで、台風で講師が来られなくなり、やむなく、私がその先生の話を思い出し、必死に代講したところ、意外にも好評で、いささかの自信がついたのです。
こうして、ピンチヒッターが、レギュラーになり、とうとう一本立ちして独立したというわけです。
「門前の小僧、習わぬ経を読む」なのです。
トーマス・フラーの言葉です。
今日のような情報過多社会になると、さまざまな嘘が真実のごとく流布されて、ともすれば本質を誤ることが多いことになります。ここでつまずくと、いくら苦労してもうまく行きません。
世界ではフェイクニュースの議論で大賑わいです。真実(本質)を見抜くことはむずかしいのです。だから、世間だとか正論だとか言われているものには眉につばをつけて、半分は嘘なのではあるまいかと考えてみるといいのです。
私はやはり「真なるものは現実のうちにある」というヘーゲルの言葉をもじって、「真なるものは現場にある」と言いたいのです。
会社などでは、よくインテリのスタッフは紙に書かれたレポートやコンピュータからはじき出された数字で本質をつかんだと錯覚し、問題を解決しようとしてしばしば失敗しています。
言葉は抽象なのであるから、現場を見て確かめずに軽々しく判断をしてはならないのです。
「現場に行って、現物を手にして、現認する」。三現主義を貫きたいと思います。
ある産業心理学者は職場の中には、大きく分けて三つの種類の人がいると分析しています。
①いてもらわなければ困る人。
②いてもいなくてもいい人。
③いてもらっては困る人。
そして、ほとんどの人々が①でありたいと願っています。だからこそ、少しぐらい体調が悪くても、俺がいないとみんなが困るからと思って出社してくるわけです。
リーダーはこの気持ちを尊重し、心からの感謝の言葉をかけてあげたいものです。人間にとって、いちばんガックリするのが②のタイプだと思われたときです。これは無視されることです。人は誰でも無視されるのは耐え難いものです。だから朝夕の声掛けが大切なのです。
最後の③と見られることは、マイナスの存在価値の烙印を押されたことであり、そのためにマイナスのやる気を出し、リーダーを困らせてやろうと張り切るものです。
反抗とは、実は自分を認めてほしいという一つのポーズなのです。出番、役割、ポスト、責任を与えマイナスのエネルギーをプラスに転化することが最善策なのです。
カウンセリング歴45年の実感です。その利害関係も金銭的なモノばかりとは限りません。
ポスト(役職)がからんだり、異性問題がからんだりすることもあるが、いちばん多いのは相手の自尊心を傷つけたときでもあります。
「カッとなったときは図星を指摘されたとき」です。図星とは、人に知られたくない、隠しておきたかった弱点、劣等感をあからさまにさらけ出されたときでもあります。しかも劣等感は恥の感覚と密接に結びついているのでそこを刺激されると強烈な怒りを誘発することになるのです。
「自尊心とは、空気でふくらませた風船玉である。ちょっと突いても、炸裂して風になってしまう」とボルテールは言っています。また、「他人の悪口は嘘でも面白いが、自分の悪口は本当でも腹が立つ」と言うのがホンネなのです。
家族カウンセリングや職場の集団トレーニングでは、自尊感情の扱い方を特に教育プログラムにいれています。
西洋の教えです。
かつて、私は自分の知識を切り売りするようなカウンセリングをして、ヘトヘトになっていました。知らず知らずのうちに自分の考えを相手に押しつけて、理詰めで説得していたのです。まるで「言葉の格闘技」でした。
すなわち、カウンセラーの私が何とかして問題解決を促さねばならないと力みが強かったのです。
しかし、転機になったのは米国の研修でした。
そこで、学んだことは「来談者が必要としている問題解決の資源は、その来談者自身の生育歴『物語の本』の範囲内にある」ということでした。
その学びから、「言葉の合気道」とも言えるクライエントに合わせ、抵抗を誘発する言葉の言い回しを意識して気をつけ、クライエントの問題解決能力を活用することで、ストレスも少なくなりました。
また、私が余裕を持つとクライエントも余裕が出来、笑いの絶えない柔軟なカウンセリングができるようになっていきました。
リーダーはメンバーがさりげなくつぶやくことばに注意をし、その片言や文句からメンバーの心を読み取れるようになったらたいしたものです。
言語心理学者は、人間はことばで二種類に分けることができると言っています。エリートなど、権限権力を持っている人が好んで使うことばに「正しい、良い、当然、……すべきである」。
これに対し、凡人、庶民は「面白い、好き、楽しい、……したい」とよく言います。そして前者はタテマエで、後者がホンネだと解釈します。まことに味わうべきとらえ方です。
たとえば、職場の小集団活動に対して、エリートであるリーダーは、「この活動はとても重要で、正しいことであるから当然やるべきである」。一方、メンバーが「そうはいっても、面白くないし、楽しくない、やりたくない」というようだと、よほどよく考え直さないと経過とともに非生産性が拡大します。
リーダーはエリートであるほど現場の声に耳を傾けて調整力を発揮してほしいものです。
私の信条です。
大脳生理医学者、京都大学の元総長平澤先生は
「過保護に育てられた飼いねこの脳の発達は貧弱なのに、野良ねこの脳の発達は立派である」
といっておられました。
子どもの脳の発達でも、同じことがいえるのです。
運動機能の発達で、右手でハサミが使えても左手はまるでだめで、使わない機能は発達しないのです。
同じように、自立性の心の機能も、自立心を働かせる環境を与えずに、過保護に育ててしまうと、発達しなくなります。
「過保護はゆるやかなる虐待」といわれるゆえんです。
私は20代の頃、自分の強み、弱みに向き合う心理学「交流分析」に出合ったことは幸いでした。
「自分を知り、他人を理解すれば、百戦して危うからず」なのです。
また、大自然に囲まれた天草の地でたくましく育ったことは、人間社会よりはるか上位にある自然、「常に天地自然の道に沿った生き方を心がける」ことで終生、私の強みになりました。
人の前で話をし、発表することは、何よりも自信をつける絶好のチャンスであるとして、デール・カーネギーは話し方教室で強調し、生徒を励まして壇上に立たせたのです。
この生徒の中から全米一、すなわち世界一の生保セールスマン、フランク・ベトガーらが輩出されました。
かつて、米国の研究所で感動したことは、質問に対して即、体験学習の実践解答でした。
講義(レクチャー)は二割、体験六割、分かち合い(シェアー)が二割という「気づき」の連続でした。
この経験から、私は心理セミナーや職場の小集団活動と結び付けて「体験式心理プログラム」を考案しました。
教育といえば、しかめっ面をして、いやいやながらお義理で参加するものと思い込んでいた人が、グループで課題について遅くまで話し込み、研究成果を発表して自主的にやりぬき、すっかり自信をつけていったのです。
実に喜ばれ、感謝されました。
「百見は一体験にしかず」ということなのです。
一方、「自分にして欲しくないことは、他人にするな」という銀律(シルバー・ルール)は規則、法律のもとになる考え方です。
二十歳の頃に学んだ「セールスの極意『黄金律』」は、終生にわたり人間関係を豊かなものにしてくれました。
「自分がして欲しいことを他人にしてあげなさい」という黄金律は、思いやり・共感性とともに人間関係、宗教の基本でもあります。
商売において「お客の気持ちになれ!」とよく言われます。すなわち、客観的とは、「客の立場で観る」ということなのです。
店・商品・サービス・マナーをチェクして、自分が買いたくなる商品の仕入れや陳列の工夫。限りなくお客の心に近づけるのがセールスの極意なのです。
同様に「共感性・思いやり・相手の身になって考える」はカウンセリング心理学の核心です。
四月からの新入社員の方には、黄金律(ゴールデン・ルール)・銀律(シルバー・ルール)、二つの心構えを実践して欲しいと思います。
この「心理法則」について、米国のホーソン工場における典型的な実験例があります。
その工場では社員の率直な意見や日頃の思い・不平不満について、産業心理学者による面談方式で、一人ひとり個別にじっくり話を聴く機会が設けられました。その際社員食堂のことで、ある中年女性が日頃の不満を綿々と述べたといいます。食事はまずく、汚く、雰囲気が悪い、サービスが悪い等々。
面接者はただただうなずいて、しっかりと相手の言い分を聞くだけでした。
数日後、面接者がこの女性と廊下でばったりと会いました。すると彼女はニコニコしてこう言ったそうです。
「先日は有り難うございました。おかげで食堂はすっかり良くなりました。感謝しています」。
不審に思った面接官が、食堂の担当者に尋ねてみます。しかし、これまでと変えた所は何一つとしてなかったのです。
「自分のことを人に言う」ということは、たとえるなら便秘が解消されることです。話すことで「通じが良くなる」ということなのです。
三同効果とは、「同じ屋根の下で一緒に寝泊まりして」「同じ釜の飯を食い」「同じことについて真剣に話し合う」と意思統一・団結・チームワークの向上というのが如実にあらわれるということです。
私は20代の頃、守部昭夫師匠の合宿研修のお手伝いをしながら「現場」の重要さということを徹底的に学びました。実際やってみると、現場の問題というのは幾重にも重なり合って、相互に密接に関連しており、あちら立てれば、こちらが立たずという矛盾に満ちていることがよく分かってきました。そして、そのすべての奥に人間同志の深い利害関係がからんでいることも分かりました。
ことばや本で教わったことは、いかに論理的、説得的であり、体系的であっても、事実に照らして吟味しなくてはならないのだということを、しみじみと教えられたのです。
このことから、家庭・学校・職場においても現場的発想、これが後に産業カウンセラーとして、私の原点になっています。
軍事的にものを見ることは、経済も政治も大局的にとらえることができるとの教えがあります。
日本は、軍事的なとらえ方、戦略的とらえ方の次元が低く、それが大きな問題となっているようです。第45代米トランプ大統領の誕生は日本にとって、“経済・政治・軍事”を見直すチャンスだと思います。一方、家庭・学校・職場をシステムと捉える家族療法は、戦略的コミュニケーションを重視します。
特に問題を抱えた思春期の子どものいる家族では、第一に、新たな両親の協力関係、両親連合を構築することで大局的な方向性(戦略)を明確にします。
第二は、子ども自身がどうしたいのか、どうなりたいのか、肯定的側面を引出します。
第三に、子どもに寄り添いながら親と一緒に目標達成の手段 (戦術)を模索します。
その結果、子どもは安心して目標に邁進できます。
私はこれからも“戦略は大胆に、戦術は柔軟に”を心がける産業カウンセラーであり続けたいと思います。
『朝やけ小やけだ 大漁だ 大ばいわしの 大漁だ。 浜は祭りの ようだけど 海のなかでは 何万の いわしのとむら(弔)い するだろう(大漁pp16~17:金子みすず童謡集)』。
かつて、この詩の出会いは、カウンセリング心理学の神髄に触れたような眼からウロコが落ちる思いでした。
私たちは心と身体の健康を守るためにも、固定した視点だけから自分を見ることをやめなければいけません。
自分の短所だけを見つめている人は、長所を探すことが大切です。また、家庭・学校・職場のこじれた人間関係の相談が多くあります。
相談者に困っている人との相関関係をノートに図解し、相手の立場で思いつく限りのセリフを書いて頂きます。その結果、全体像の把握と問題が明確化されます。
「図解・分解は、分ければ解る」、より良い人間関係の改善に効果的な心理技法です。
40数年、心理学的援助で実感することです。
私が親御さんに心理面接で心がけている3つのキーワードがあります。
ひとつは、声を荒らげないこと。親が声を荒げると、多くの場合子どもも荒げます。穏やかな表情でゆっくり話すことは、子どもと向き合う出発点なのです。
ふたつ目は、肯定的で具体的かつ簡潔にメッセージを伝える方法です。「お客さんが来たら、挨拶をして、その後は自分の部屋で好きなことをしてもいいよ」など。
3つ目は、「今日は親子で色々言いあったけど、お母さんはあなたの本当の気持ちが聞けてとても嬉しかったわ」と必ず肯定的な言葉で終わることです。そうすることで子どもの自尊感情を高め、親子の絆を確かめることにつながっていきます。
すべては、母親ノート(日常の親子の会話記録)を基に具体的な心理面接で親御さんのコミュニケーション能力が向上していきます。
ついに巨人軍・鈴木尚宏選手(走塁のスペシャリスト)が引退を宣言しました。
やはり現役の選手でありたいという未練を残しつつ、さわやかに球場を後にしたことだと思います。
ストイックな選手として応援してきた私にとっては淋しい限りです。
「別れ」には三つの種類があります。
一つめは小さな別れ。欧米なら「また会いましょう」。日本でいえば「じゃあ、またね」というものです。
二つめは就職、転職、引っ越しなどにともなう中くらいの別れです。それまでの環境や状況、人間関係と別れ、新しい環境のなかで自立してやっていく、そんなニュアンスです。
三つめは大きな別れ。欧米の「さようなら。神があなたと共にいるように」。つまり、永い別れとか死による別れです。
知人のお父さんは「さらば!」と言って息を引き取られたそうです。
私も“この世に未練を残しつつ、さわやかに別るる”。その日まで充実した日々を過ごしたいと思います。
40年間で強く実感する事は、人が人生の中で「悩む・病む」、ターニングポイントは思春期だと言うことです。
思春期は大人への移行期で期間は10年以上あり、三つのハードルがあります。
第一のハードルは自我にめざめる、小学五年生。この頃に悩むことができる子は、人間的に感受性が強い早熟な子だと言えます。
第二のハードルは、中学二年。ここで過半数が足並みをそろえます。
そして第三のハードル。高二で最終のグループがここを通過していきます。
ところがまれに、思春期の門をくぐらない人がいます。悲しいことに、学力が高い、成績が優れているという場合によく見られます。学力さえ高ければ自己を問われることも、問う必要もないのかも知れません。さらに大学生になっても、まだ自我にめざめないという悲劇がおこるのです。
「悩む・病む」ということは、ヒトが人間になっていく過程で必ずおこることなのです。
愛知県のライフル射撃協会の方々にメンタルトレーニングを実施したことがあります。
国体選手レベルの人達で、きわめて強い集中力と精神面のコントロールが大切だということでした。
私がとった心理技法はそれまでの射撃体験のなかで、失敗したときのことには一切触れず、的をうまく射抜いた成功例のみを2人一組になってそのときの鮮明なイメージ、感触を語り合う、誘導イメージ法の習得でした。
成功イメージを定着するまで、繰り返し、繰り返し反復するのです。同時に重心の気づきを促進する筋弛緩法も指導しました。
その結果、大会ではそれまでなかったほどの素晴らしい成績をあげられたとの報告でした。
重心体得と成功イメージ法が功を奏したのでしょう。
心・技・体の心に重きを置く、メンタルトレーニング法は4年後の東京オリンピックに向けて一層の研究と応用が期待されます。
資金繰りで苦慮していたある経営者は、自殺するのではと心配された奥様に連れられて来談されました。
うつ状態の経営者は家で「ため息をつき、息苦しく」していたのです。
心理カウンセラーとして私は二つの対処法をとりました。
一つ目は、包み隠さず心が楽になるまで徹底的に聴き役にまわりました。「話すは放す(解放)」という心理法則です。
二つめは信頼関係を構築した後、心の悩みや不安といった精神的マイナス要因が、「体の緊張」という形で体の表面に現れているかを実感した後、体ほぐしを奥様と同席のもとで実施しました。
すると呼吸がとても楽になっていったのです。奥様は協力的で家でも体ほぐしを実施されたのです。特に頭をもみほぐすことで睡眠がぐっすりとれるようになっていきました。やがて気力充実で行動的になり苦境を乗り越えられたのです。
「体をほぐし、深い呼吸はしなやかな心を生む」のです。
40年以上、人様の前で話をするのが職業になって、改めてよく解ったことは、人は他人の話を聴くより、自分が話したい動物だと言うことです。
中には他人の長話を聴くのは拷問の一種だなどと、ひどいことを言う人さえあります。
この心理法則から合宿研修では、第一日目にミーティングの時間を長くとります。
結局、夜遅く長時間話し込んでいるグループが多くあります。それほど人々は話したいことが山ほどあり、話せば話すほどストレスが解消し、気持ちがよくなり、楽しくなるのです。
これは話す喜びとは聴いてもらう喜びであることをよく示しています。その中でも人間味豊かなリーダーはみんなの意見、発言をじっくり聴き、出てくるアイデアをほめたたえ、感心することが、チームの求心力となり、団結力となっていくプロセスは講師冥利に尽きます。
リーダーの第一条件は傾聴にありと言うことなのです。
今、熊本は地震災害で大変な状況に同県人として心を痛めています。
私は農家の出身で天草は台風銀座ともいわれ災害は幾度となく経験しました。
かつて、人災とも思われる経験もしました。農地改革で土地を取られ、最下流地に田畑があり、干ばつ期には上流で水路を止められた時は、夜中に何度となく水の解放に行った記憶があります。
また、水害でお米がとれない時、災害給付金の審査では、役所と癒着した担当者からの理不尽さに、幼いながら怒りを覚えたものです。
田舎なりのパワーゲームを目の当たりにしたことは、強い人間への決意でした。
柔道、空手など武道を通じ徹底的に鍛えることで体力、気力養成。また、智力(対人交渉力)では、年長者や志の高い人との付き合いをあえて好みました。
父の言葉 "打たれ強く生きなさい"も心の支えになっています。
私は、これまで新入社員研修を多く引き受けてきました。
「組織を裏返すとコミュニケーションとなり、組織の活性化とは、コミュニケーションの活性化です」と研修の冒頭に伝えます。
研修目的は自己表現(アサーション)と相手の身になって聴くことなのです。人間の心がタテマエとホンネの二重構造になっていると心理学では考えます。
二人の人が話し合い、やがてホンネで話し合うようになるまで三つの段階があります。
タテマエとタテマエ、タテマエとホンネ。そして、ホンネとホンネです。
いくつかのテーマごとに体験学習します。その後、新入社員は居場所を見つけ自分のやるべき仕事に専念できるようになっていきます。上司は「自らが温かく、熱心に聞く姿勢を示してから、はじめて心の扉を開きはじめるものですね」と気づかれます。
コミュニケーションの活性化とは、要するにじっくりと話し込むことなのです。
元日本ペンクラブの会長であった芹沢先生の言葉です。
数十年ぶりに遊びに寄られた親御さんが「その節はご指導有り難うございました『愛情深いご両親の元きっとうまくいきますよ』の言葉にとても勇気づけられました。今では娘は結婚して二児の母になりました」。
また、ある方は「『幹部の方が自分のことをどう思うかではなく、これから自分がどうしたいかに徹しなさい。不安な気持ちを力にして下さい。Hさんだったらきっと良い社長になれますよ』。十数年経っても励みになっています」など。私は何を言ったのか、失念することも多々あります。
カウンセリング場面では、慎重に言葉を発しているつもりでも、人それぞれ特有の解釈をされるので、知らないうちに傷つけているのではと反省することもあります。
「言葉は言霊(ことだま)なり」を再認識したいと思います。
一方、犯罪防止も同質だと思います。
かつて、拘置所の所長をしていた空手の師範から「犯罪を繰り返す人とそうでない人の違いは?」と問われたことがあります。
「初犯で済む人は、『罪を償って早く帰って来ておくれ、お前は大切な子だからね』と責めることなく頻繁に会いに来る絆の強い家族の場合ですよ」。47年経った今でも心に強く残っています。
「犯罪を思いとどまる心のブレーキは?」父母のこと45.1%、兄弟(妻子)を含めた家族全体のこと23.2%(平成23年犯罪白書)、家族の大切さを物語っています。
近年、少年一般刑法の検挙数は減少傾向にありますが再犯率が高くなっています。
その要因は家庭崩壊による家族のサポートの欠如だと思われます。
コミュニケーション心理学の立場から家族面接では、ご両親に信頼関係の築き方として「観察上手・聴き上手」をテーマに一緒に取り組んでいます。
ある学生は就活の結果が出なく、内定が決まらないことを「圧迫面接をする面接官が悪い」「自分はダメな人間だ」など、悶々としていました。
私は次のような話をしました。
『農作物を荒らすサルを捕獲する、ユニークな方法がボルネオ島にあるそうです。空になったココナッツの殻に、サルの手がギリギリに入る穴の中に餌を入れ、固定します。やがて、手を入れたサルが餌を掴むと手が抜けなくなり、餌に執着しているうちに捕まってしまうのです』
「切り替えなければと頭では分かっているんですが…」。そこで、頭に張り付いているネガティブな考えを「小川を流れる枯葉の上に次々と載せる」イメージを"手放せた"と実感するまで実施したのです。
その後、イメージ面接法も行いました。心理メソッド"手放すイメージ法"は様々な分野に応用ができます。
"人は想像した通りの人間になる"。人の智恵はサル知恵に優るのです。
ある企業の合宿研修を実施した時の実感です。
参加者の今いちばんの関心をテーマにとり上げることで話が弾みました。
「敵を知り、己を知れば百戦危うからず」という孫子の教えを取り入れる、戦略合宿となります。
市場(ユーザーのニーズ)の変化、ライバルの変化をよく研究して自分たちのあり方を反省し、今後の方向を見出してゆくという話し合いです。やってみるとよく分かりますが、知っているつもりで、あまりにも不十分だったと反省し、夢中になって話し込みますので、時のたつのを忘れ、しばしば深夜に及びました。
私のねらいは、自主性を尊重することで、相互理解が進み、共感に至ることにより、相互信頼が生まれ、ほんもののチームワークになってゆくことです。
終了後は「気づきの促進」「主体的に動くこと」「信頼関係の深まり」の体験ができたとの感想でした。
目先の現象にとらわれず、逆な考え方や行動によって目的を達成しようとする試みの一つに「逆説的心理技法」があります。
かつて、私はタバコをやめようとすればするほど吸いたくなりました。しかし、逆に臭いをかいだだけでも気持ちが悪くなるくらい徹底的に吸いまくりました。今では34年間、禁煙継続中です。
また、こじれた人間関係の心理相談が多くあります。関係修復を何とかしようとすればするほど益々こじれてしまいます。思い切って、つっぱなして適切に間を置くことを助言します。その方が良い結果につながることが多いようです。
同様に、企業経営においても「好事、魔多し」の言葉のように、順調な時ほど思わぬトラブルにみまわれます。油断することなく気を引き締めることが肝要です。一方、逆境の時は多くの学びと気づきがあります。
「老子思想」の逆説的思考は私の人生を豊かにしています。
喜びと悲しみ、幸せと不幸は表裏一体であると洪自誠著(明の時代)、菜根譚(さいこんたん)の一節は多面思考の大切さを示唆しています。
「今日はおめでとう!そして、命をかけて生んでくれたママへの感謝の日でもあるんだよ」と三人の孫たちの誕生日会で私は伝えてきました。
その意図は思春期(反抗期)にこじれた親子関係になっても修復が出来るとの確信のもとで実践してきました。
家庭は社会の最小単位、「教育の原点は家庭」にあります。発達心理学では幼少期の適切なシーディング(種まき)の重要性を強調しています。
一方、私の入院中一日も欠かさず見舞いに来てくれた長男はある時「父さん、移植した腎臓だけスポットライトを当てるだけでなく、63年間良く働き尽くしてくれた自分の腎臓さんにも感謝しなければいけないよ」。
"老いては子に教えられ"を痛切に感じました。
これらの三つの表現は極端であるが共通する真の意味は自分自身と相向き合い、ゆっくり考えを巡らせるいい機会であると思われます。
私にとってもその中の一つ「大病」のみが大いなる経験となりました。食事療法を中心にあらゆる方法で心身の安定に努め、腎不全の保存期間を10年間保つことができたこの経験は、特に三つの事に気づかされました。
ひとつめは、辛い時こそ見えてくる「人間関係の不思議さや人の親切さ」です。
二つ目は、66日の入院で「考えや視野が広がった」気がします。名大病院のチーム医療は、企業・業種・職種のポジション(立場)を考えることでリーダシップの大切さを再認識しました。
三つ目は「特殊な状況に置かれてもある程度、落ち着いて、平常心」を保てたことです。
入院中も「筋弛緩法・長息呼吸法・自律神経調整法」を実践したお陰だと思います。
この度、腎移植入院66日の経験は多くのことを学びました。
患者の心構えとして、第一に種々の検査データを時系列に理解することの重要さ。集中治療室でも検査データをもらい検討していました。
第二は医師や薬剤師に疑問を問いかけ続けることの積極性です。チーム医療に自らが積極参加する「自分の主治医は自分自身が主治医であれ」ということなのです。
三つめは看護師さんには笑顔で名前を呼び信頼関係を築きました。新人の看護師さんには進んで採血の練習台にもなり、ささやかな恩返しを心がけました。上手に採血できない人には「最初は誰もが新人だったのですよ」と励ますと次第に上手になっていきました。
一方、名大病院の方針は検査の度ごとに名前確認の徹底や患者への説明に力を入れるなど「コミュニケーションの改善は、医療安全につながる」の推進にはとても感銘を受けました。
かつて、私は主治医に「1年後、血液透析は覚悟してください」と言われたのです。それから並行して、食事療法を日本の第一人者である昭和大学病院(神奈川)の教授の下で学びました。
その医師は「食事療法の主治医は患者自身ですよ」と言われたことで本気に取り組むことができました。お陰様で腎機能の保存を10年間維持できたのです。
今回、これ以上の限界を理解してくれた姉から命の贈りものをいただいたのです。
名大病院、入院66日の経験は執刀医をはじめ多くの医療スタッフの方々のチーム医療の進歩は驚くべきものでした。
神(自然)からいただいたものを人(医師)の手で腎移植するのですから不思議というほかはありません。この経験は「自分は多くの人のお陰で生かされている」と「無条件の愛」を真に実感したものです。
4月は新入社員の新たなスタートの季節です。馴れない社会人として期待と不安の心理状態でもあります。そのためにはリーダーは居場所と話しやすい雰囲気づくりに心掛けることが大切です。
話しやすい雰囲気づくりには、タイミングの良い相槌や「なるほど」「それからどうなったの」「それは面白いね」といった合いの手も有効です。また、さりげなく、相手の最後のことばを繰り返すことにより、次の話の誘い水にするというやり方もあります。
「そこで壁にぶつかったんですよ」と言って話が途切れたら「そうか、壁にぶつかったのか」と反復するのです。すると相手は次のことばが出やすくなるのです。
この様にコミュニケーション心理学の教えは信頼関係の促進にとても有効です。
産業カウンセラーとして、顧問先の従業員の相談を受ける機会が多くあります。その主な内容は「仕事で同じ失敗を繰り返し落ち込んでしまう。また、人間関係では、同じようなトラブルを引き起こしてしまう」など。まさに、「分かっちゃいるけど止められない」の人生パターンの心理相談です。
私たちの「思考や感情、行動」という「三つの要素」は、その人なりの統合された「心の地図」としてプログラムされているのです。
そこに問題解決のヒントがあります。「自分はマイナスの面を過大に考えがちである」という「思考の癖」。また、「相手の否定的な言葉に即、反応して不安や怒りを感じる」などの「感情の癖」。さらには、「どうも自分はひとりよがりの行動をする」という「行動の癖」。
これらは「心の地図」を書き換える再プログラミングすることで生きづらさを克服することができるのです。
お店に入り、欲しい物がなく帰ろうとした時、不愛想にされる場合と「有り難うございました。またのお越しをお待ちしております」と笑顔で送られる場合では余韻の大きな違いを経験するものです。
また、職場の上司が帰り際に「君はよく頑張っているけど、報告が遅い」。「君は報告が遅いけど、よく頑張っているね」と声掛けの場合、言葉の順序を逆にしただけで、印象がずいぶん違って聞こえるはずです。
前者はマイナスの感情で別れますが、後者はプラスの感情で別れます。後者であれば「次からは報告を早く上げよう」という気にもなるでしょう。
この様に最後の言葉をプラスで表現することが良好な人間関係の秘訣だとコミュニケーション心理学では教えています。
前者は、自分でも分かっていることであり、後者は、自分の気付かない所をほめられる意外性のある言葉です。
「自己拡大のほめ言葉」の最高の事例を紹介しましょう。
中国の漢の時代、高祖、劉邦(りゅうほう)が名将韓信に
「おれとお前と、どちらが兵の扱いが上手であろう」。
「それは、私の方が上手でしょう。私は百万の大軍でも動かせますが、陛下は、せいぜい十万が限度でしょう。兵に将たる器は、私の方が上ですが、陛下には、将に将たる器がおありになります。これは、生まれつき備わったもので、いかんともしがたいものでございます」。
人間関係において、「自己拡大のほめ言葉」のフレーズをさりげなく伝えることが、ラポール(信頼関係)の構築には効果的です。
米国の哲学者、ラルフ・ワルド・エマーソンの教えです。
知人の若き経営者に事業家になる思いは何時からですか?とインタビューしたことがあります。彼は「6歳ごろから単に、金持ちになりたいと思いはじめ、高校生で戦国策を始め、中国の古典を読みあさり、将来自分が経営者としてのイメージトレーニングをしていた。そして、自分は必ずできると信じて疑はなかった」と語ってくれました。
人生の成功者の多くは、自分へのささやきかけが肯定的なことを言う「ポディティブ・セルフトーク」が特徴だと思われます。言葉グセと言う強力な自己暗示が習慣となり、やがて目標達成への道が開かれていきます。
このように人は誰でも「口グセどおりの人生」を歩むことを再認識しました。
さらに高じると心理学でいう関係妄想に発展します。他人のなにげない言葉やしぐさに、特別な意味を見つけて結び付けるのです。自意識過剰の人にはこの傾向がよく見られます。
体臭恐怖で悩んでいたOLは、男性がPC操作でうまくいかない時「クソ!」と言ったことが彼女には「くさい!」と聞こえていました。また、相手が話すときに口や鼻に手をやると「くさい」メッセージと受けとります。その為に職を転々としていました。
また、ケンカの絶えないカップルでは、ドライブ中「降ろしたろか!」の言葉に彼女は「殺したろか!」に聞こえて、長い間誤解が解けなかったと彼は述懐していました。
この様な相談者に必要なことは"軽いストレッチングやリラクセーションで血液循環を良好にし、気分を和らげた後ユーモア療法による「認知の修正」"が効果的です。
江戸無血開城の立役者のひとりで、剣禅一如の人でもあった山岡鉄舟のことばです。
富士山はいつも変わらないのに見る人の心のあり様でお山の評価を変えてしまう。周囲の状況に一喜一憂することを戒め真実に心を向けることと、平常心の大切さを求めた教えです。
また、「我(われ)が怪しい」状態を「怪我」と書きますが、まさに平常心を欠き注意散漫な時、誰もが怪我や失敗をする可能性があります。
一方、「幽霊の正体見たり枯れ尾花」のたとえの様に不安定な怪しい精神状態では、不安症状(枯草)が最悪な状態(幽霊)に思えて、心が怪我をして悶々としてしまうことがあります。
当センターでは平常心を養成する、「筋弛緩法・長息呼吸法・自律訓練法」の身心リラックス訓練と認知の修正法にも力を入れています。
職場のコミュニケーショントラブルの解決には、夫婦の人間関係の解決がヒントになります。
「夫婦間でどうもギクシャクしているんですが」との相談。奥さんの言い分は、「主人が自分の気持ちをちっとも分かってくれない」。ご主人の言い分は、「いつもちゃんと話を聞いているじゃないか」。そこで私は、提案しました。
まず、奥様に話して頂きます。その後、ご主人に、相手の言い分をしっかり反復する練習をして頂きました。「お前の言っていることは、こうこうこう言うことなんだね?」。
その結果、ご夫婦の仲が良くなり、トラブルも起きなくなりました。
会社の課長であったご主人は早速、部下に「君の言っていることは、これこれこう言うことだね?」。「君の言い分はしっかり受け止めているよ」とのメッセージの交流は、部下に安心とやる気を増幅させます。
鎌田勝先生(総合経営教育研究所)の教えです。
人間は集団本能によって群れをなし、やがてグループを作ります。これを組織と言いますが組織を裏返すとコミュニケーションとなり、組織の活性化はコミュニケーションの活性化ということなのです。
筆者は産業カウンセラーとして「職場の人間関係を円滑にする技法」のテーマで企業の教育研修の機会が多くあります。
研修時間をたっぷりとかけることでお互いが理解し合い、驚くほどチームワークが良くなります。コミュニケーションの活性化とは、要するにじっくりと話し込むことなのです。その結果、風通しの良い職場風土の形成がなされて、うつ状態の人や心身症の方々の回復がみられたとの報告が多くあります。
心の健康は「対話は体話なり」の心の触れ合いの重要性を強く感じています。
米国の心理学者、ウイリアム・ジェームズの教えです。
家庭、学校、職場において、「自分が承認されていないと感じている」ことで様々な事件が起きています。
かつて、小学校の教頭先生から学級崩壊のことでPTAの講演依頼がありました。テーマは「愛情は技術だ!(子どもの心を開く人間関係の築き方)」でした。
翌朝から教頭先生は校門の前に立たれ、登校児童の一人ひとりに「握手しながら目線を合わせ『お早うございます』」を実践されました。また、職員会議でのルールでは問題とされている児童の褒め探しの後、課題に入ることを提案しました。すると先生方が児童の肯定的側面に気づかれ、児童との良循環が形成されたのです。
「プラスの面で分かり合うとパワーになる」の実践報告に感動しました。
家族療法の中心技法です。
かつて私は職人気質の厳しい心理療法家に弟子入りしていました。初めの頃は度重なる失敗で叱られすっかり自信喪失に陥ってしまったのです。
先輩から「竹内さん、師匠は貴方の勤勉さを認めています。そして、将来幹部候補として育てようとしているから厳しくしているのですよ」と言ってくれた一言(リフレーミング)が私の気分を一変させたのです。
また、“厳しい師匠に辛抱できたらどこでも通用できる人間になれる”とポジティブに捉えることができ、厳しさは将来のための勉強だと受け止められるようにもなりました。
リフレーミング技法は、今でもカウンセリング場面で大いに活用し、人生を豊かなものにしてくれています。
ある人が言うことは素直に聞くことができるのに、別の人が言うことは同じ内容であっても聞きたくないということをよく耳にします。すなわち、人は「何を」言われるかよりも、「誰から」言われるかが重要なのです。
「中学生の息子が人の物を盗むようになり、困っています」とのご両親の相談。詳しく傾聴した後、「お子さんの良い点を5つ教えて頂けませんか?」10個の良い点を挙げられました。「家庭でもお子さんに良い点を指摘して下さい。ただし、馴染むまで徹底的に実践して下さい」。
かつては激高していた、お父さんとの信頼関係が良好になり問題解決に至りました。
行動心理学では親子の信頼関係の再構築に限らず、どの分野でも肯定的な側面に働きかけることは効果的だと教えています。
一燈園の創始者であり、「懺悔(ざんげ)の生活」の著者、西田天香さんの教えです。
「智徳研修会」では、京都の街を一軒一軒訪ねてトイレ掃除をする行乞(ぎょうこつ)の修行があります。入りやすいとか、入りにくい家とか“選ぶ”姿勢を捨てなければならないのです。
最初の頃は断られるとホッとしていたが度重なると焦り、心の中で「恐怖突入」「勇気ある行動」と呪文の様につぶやき10件めでやっと受け入れて頂きました。
この体験から「捨てなければ得られない」を実感しました。また、自然と一体化した礼堂での瞑想は自然との調和を体感しました。
これからも「自然法則に適った生活リズム」をカウンセリング哲学として実践していきたいと思います。
近年、当センターにうつ状態の来談者が多くなっています。
これらの方々は「私はダメな人間だ」「あの時の失敗は致命的だ」「私は生きている価値がない」等々の「否定的思考(クセ)」がエンドレスなのが特徴です。
また、ある研究では「人は一日に六万個の物事を考えていて、その95パーセントは前日も前々日も考えていたことで、その習慣的な考えの約80パーセントがネガティブなものだというのです。まさにiPodで同じ曲を連続再生するようなものなのです(引用:脳にいいことだけをやりなさい)」。
この様に、脳科学の研究でも油断すると誰もがうつ状態に陥ることを示唆しています。
当センターでは否定的自動思考(クセ)を肯定的な手動思考(意識的)に切り替える「認知の歪みを修正」する認知行動療法で解決を促進しています。
松下幸之助氏はこのフレーズを入社面接の最後に必ず質問して、採用条件にしたそうです。
「松下政経塾」、入塾審査を担当された高橋史朗教授(明星大学)にお聞きしたことがあります。
様々な分野の運の強いビジネスマンと接して感じる最大の共通点は「自分を大切」にしていると思われます。
「一番難しいのは、自分を尊敬することです。運が良い人は自分を心から好きになれた人だとも言えます」。
自分を大切にしている人は、周りも丁寧に接してくれるのです。私は幼い頃、母から運のいい人は「有り難うございます、感謝しております、お陰様での言葉グセがあるよ」と教わりました。
一方、脳科学では「運がいい」と思うよりも、実際「運がいい」と口にしたほうが、多くの感覚器官が働き、記憶が定着し強化されるとも教えています。
鎌田勝先生(総合経営教育研究所)の信条です。
四十歳の時、師との出会いは、まさに「眼から鱗(うろこ)が落ちる」の衝撃を受けたのを記憶しています。
師は知識の広さ,深さはもちろんのこと経営コンサルタントとして「問題解決は現場にあり」、現場の人に良く聴くことを徹底しておられました。また、「心理カウンセラーである前に人間として真の謙虚さが大切です」の示唆と「自分の無知を自覚した時から人は伸びる」の教えは終生、忘れることができません。
師の人生哲学は「相手に熱烈に協力してもらおうと思ったら、相手の話を熱烈に聴きなさい」デール・カーネギーの教えにも相通じるようにも思えます。
「どんな大きな会社も潰れ、不動産は不動でなく、お金は紙くずになってしまうが“頭の中の知識や経験という財産は無くなることも、奪われることもない”」と言うのが父親の口グセでした。
世の中が一変した、終戦と農地改革の体験からだと思います。
人々がこれだけはと頼りにしている会社、家、お金の三つは意外と頼りなく、はかないものだと悟り、身体が丈夫で頭がボケなければ、努力次第で暮らしが良くなることは可能だとも言いたかったのです。
私が30歳の時、ある研修で「長男からの弔辞」の想定で自らが書いた内容を読み返したら「父は終生、頭の中の財産を増やし続ける…」。
まさに父親からの洗脳は62歳の今も継続中には苦笑しました。これからも積極的な明るい言葉をつぶやき続けたいと思います。
今は亡き、高田好胤管長(薬師寺)の説法を若い頃お聴きしたことがあります。
子どもの頃から慣れ親しんだ不思議なお経がその時、妙に得心したのを思い出されます。しかし、62歳になった今でも「かたより、こだわり、とらわれている心」にハッとさせられることばかりで「思考修正」の連続です。また、師は「結局のところ悟るとは決心することだよ」とも説法されていました。
その教えだけは「覚悟して思ったら行う」の座右の銘と共に生涯に亘って実践してきました。心理学者、アルフレッド・アドラーは「性格は死ぬ三日くらいまでは変わる」との言葉を残しました。
この教えを信じつつ日々、自己更新を継続したいと思います。
同様に、「十の楽しい経験よりも一つのイヤな経験が強く心にとどまる」。 心理学ではネガティブ・バイアス(否定的偏向)と呼ばれています。
このマイナス思考回路による不快指数は時間と共に増幅します。 あるピアノ教師はお母さん方の集まりには何時も嫌な思いをするので、 帰宅後には即、「大好きなアップテンポの曲を聴く」ことで切り替えました。
また、週末の退社時になると決まって仕事の小言を言う上司の下で憂うつになっていた会社員は、 「金曜日の夜はジムでたっぷりと汗をかく」ことで、土、日を快適に過ごせるようになりました。
本質の改善と同時に、 自分に合った聴覚・視覚・触覚を組み合わせた意図的な「プラスの上書き」を提案しています。 すなわち、人生の幸福度は「プラスの上書き技術力」と正比例すると思われます。
「四次元ピンポイント放射線治療」で有名な UASオンコロジーセンター(植松稔医学博士)の理念です。
知人の娘さんは七ヶ所目で植松医師と出会い、 セカンドオピニオンで安心・安全を得た後、 切らずに治すピンポイント放射線治療を受けました。
その後、娘さんから 「PET検診結果はがんの消滅と転移はありませんでした」との報告。
サポートし続けたお父さんからは 「露天風呂、流れる雲に、手を合わせ、娘生還、桜島山」のメールも頂きました。
「これからも食事療法、心身リラックス訓練法によるイメージ療法、 プラス思考と感謝の気持ちを継続しながら生活します」との 金メダルに匹敵する力強い言葉に感銘を受けました。
『深みにはまり溺れかけている塾生(小学生)を助け上げた引率者に周りが拍手を送っていた。 そこへ駆け付けた塾長は「何を拍手してるんだ!」。 「このままでは一生水恐怖症になるぞ!」と恐がっている子を説得した。
そして、塾長自らが溺れかけた子どもを深い所で抱きかかえ、 「大きく空気を吸い込んで、その調子、ほーら体が浮いてきた」と話しかけながら、 支えている指を1本1本離して行くと、最後にはその子は水に浮いた。
「20分くらいかけて何度も体験させて克服させたのです」と知人の息子さんは25年前の衝撃的な合宿の出来事を話してくれました。 この事から「体験から学び、やがて経験として活かす教育を大切にする様になりました」と語ってくれた若き経営者と、行動療法の神髄を実施された塾長に感銘を受けました。
『子どもから大人までの誰もが経験する人間心理のフレーズです』。
また、 「眠ろうとすればするほど目が冴えてしまう」 「人前で緊張しないで話そうとすればするほど緊張してしまう」。
「危ないから、転ぶんじゃないよ!」と言われて転ぶ子どもたち。 心理学では「努力逆転の心理法則」と言います。 間違った否定的な側面を意識させる努力が悪化を招くことになります。
人前で話す場面では、「緊張するな!」ではなく、 「背筋を伸ばし、足の親指に力を入れ、にっこりと会釈をし、堂々と話をしている私」を 肯定的にイメージすることが大切です。
「遅刻しないようにしよう!」ではなく 「10分前に着いていよう!」と 肯定的な自己暗示が行動修正の秘訣なのです。
お釈迦様の呼吸法(大安般守意経)の教えです。
筆者(竹内)の趣味の一つに「呼吸法」があります。 息との不思議な出合いは6歳の時、 竹やぶで笹笛を作り夢中に吹いていたら意識を失い、 気が付いたら大きなタンコブをつくっていました。 その時すでに過呼吸の体験をしたのです。
それ以来、息に魅せられ様々な呼吸法を体験し続けています。 今では日本の心理療法の父と言われている白隠禅師の流れをくむ禅寺で坐禅をするのが楽しみの一つになりました。
吐く息は副交感神経(リラックス)を促進し、 吸う息は交感神経(緊張)を高めます。
集中力、自律神経失調の克服や不安・緊張の解放も、 呼吸のコントロールが秘訣なのです。 また「長い息」は「長生き」にも通じます。
すなわち、「息」は「自」らの「心」と書きます。
また、人の関係がうまくいっている状態を「息が合う」とか、「息が通う」と言います。
『あるクライエントは厳しい上司に仕事の報告をするたびに 「息が詰まるような圧迫を感じ息苦しくなり、うつ状態」が長年続いていました。
想起イメージ法による上司との対人場面を再現することで 「浅い呼吸や息を止めている」ことに気づかれた。 その後「筋弛緩法」「完全呼吸法」の習得でうつ状態が解消された。 今では上司の「呼吸」にペースを合わせ、スムーズに報告もできるようになりました』。
このように、自己コントロールの秘訣は「呼吸の調整」にあったのです。
車椅子の宇宙物理学者ホーキング博士の言葉は、 しみじみと人生をふり返り、還暦を過ぎた私にとって腑に落ちるフレーズです。
『あるクライエントは、 仕事や結婚生活のトラブル等でうつ病を発症しました。 彼は子供の時から不遇な家庭環境で育ったことなど、 何時も不公平さを感じていました。
カウンセリング面接を経て職場復帰した彼は、 「過去と他人は変えることはできません。 これから自分の体調を最優先に、 与えられた職場で最善をつくす様にしています」 「うつ症状は心身の状態を気づかせるアラーム(警報)システムです。 これからも上手に付き合っていきます」 と語ってくれました。』
「どんなにつらい試練に直面した時でも、決して希望を捨ててはいけない」。
これは、かつて『戦火の馬』のPRでインタビューに応じた際、 3.11の震災を経た日本へのエールとして贈られた言葉です。
知人の娘さんは「がん」との戦いを決してあきらめることなく、 七ヶ所目の病院で「切らずに治す放射線治療医」に出会い、 遠い鹿児島の地で治療に専念しています。
日本では、いまや2人に1人ががんになり、 3人に1人ががんで亡くなる時代です。
「がん難民」という切ない言葉が生まれて久しいこの国において、 他人事だと思っていた彼女は当事者になり、 医師の心ない数々の言葉に傷つきながらもめげることなく、 「『希望』を持ち続けて良かった。 がんになって家族、知人のサポートに心から感謝できた」 と述懐しています。
「一道において生涯、念願を継続する事、それが人間形成だ」。
住岡夜晃の著書『賛嘆の詩、若人よ一道にあれ(上巻)』の一節です。
また、最初の師、守部昭夫氏は「竹内さん、人生は『ウン(運)・ドン(鈍)・コン(根)』だよ」が口ぐせでした。
“運は人が運んで来るので積極的であれ、つまらないことには鈍感に、一つの道を根気よく継続すると必ず成功する”の教えです。
今月で創立31周年、この道40年で実感することは「継続は不思議な出会いなり」ということです。
筆者は幼少から思春期にかけて極度の不安症で神経症の問屋だったのが、自己回復できたのは多くの出会いからなのです。
これからもセレンディピティ(=思いがけず良いことに出会ってしまう能力)を信じて残りの人生を楽しみたいと思います。
埼玉県にあった幡羅高等小学校が明治31年、保護者に配布した『家庭心得』です。
すなわち、子育ては「家庭、学校、地域社会の三位一体」の考えは、いつの世も変わらない本質なのです。
筆者の尊敬する友人は、入学前に躾けられたこととして、以下のように回想していました。
一つは、おはよう、いただきます、さようならの挨拶を大きな声で言う。
二つ目は、靴やスリッパなど履物を揃える。
三つ目は、遊んだ時のおもちゃを片付ける。
まさに**身が美しい(=躾)**彼の立ち振る舞いは、大人になってからも基本がぶれず、いつも感心させられます。
「三つ子の魂百までも」「鉄は熱いうちに打て」の教えを再認識したいと思います。